前回の記事では『断捨離』によってゆとりを生み出すことについて書いた。

今日は断捨離とは別の方向性で、ゆとりを生み出すワークを考えてみたい。

断捨離的な、いらないものを捨て、スペースを空けることによってゆとりを生み出すという、いわばパッシブな方向性のゆとり創造ワークに対し、今回はアクティブな方向性のゆとり創造ワークを考えてみたい。

さて、アクティブなゆとり創造ワーク、それはとても簡単で楽しいものであるが、それを実行する前にいくつかの準備が必要である。

準備

まずは以下の質問に答えてみよう。

  • 寿命が無限にあったら、今日、何をしたいか?
  • 使える時間が無限にあり、あらゆる義務から解放されているとしたら、今、何をしたいか?

この質問への答えを五個から十個ぐらい箇条書きで紙かスマートフォンに書き出してみよう。

そして、書き出した答えの中で、今日、あるいは今週、実行可能なものをひとつ選び、必要な時間を確保した上で、行動に移してみよう。

『寿命が、時間が、無限にあったとしたら、今、何をしたいだろうか?』

この問いに対し、前々からなんとなくやりたかったけど、『時間がないから』『そんなことをしている場合ではないから』やらないようにしていたことが、答えとして思い浮かぶかもしれない。

あるいは『やっても意味ないから』『そんなことをしても役に立たないから』『時間の無駄だから』やるのを止めていた行動が思い浮かぶかもしれない。

それをあえてやってみよう。

寿命が無限であり、使える時間が無限であるかのような気分になって、やってみよう。

注意点

このワークを行う際には、

『うまく、正しくやること』

『効率よくやること』

『結果を出すこと』などなどの、内的な義務感を忘れて行動しよう。

うまい・へた、正・誤、という二極的な評価基準は、ゆとりと真逆の、三次元に限定された意識から生じがちなものである。今回のワークの目的は三次元を超えたゆとり感を心の中に育むことである。よって、うまいへたという評価基準は、今回のワーク中は停止させておこう。

また、効率よくやろういう想いは、直線的な時間の流れに限定された意識から生じる、焦りと欠乏感に根ざしたものであることが多い。もちろん、わざわざ無駄なことをする必要はないが、今回のワーク中は効率について一時的に忘れておこう。

その上で、細々としたことを忘れ、特定の結果を出すことも忘れて、ゆとり感を味わいながら、やりたいことをやってみよう。

とはいえ、それを長時間やる必要はない。かといって無理に短い時間で切り上げる必要もない。五分でも、あるいは数時間でも、流れに任せて、好きなだけその行動をしよう。

そして、もういいかなと感じたら、意識を日常モードに切り替えて、普段の日常へと戻っていこう。

このワークを週に数回、意識的にやってみることで、ゆとり感が心の中に育まれていく。そのゆとり感はやがて物理的なゆとりとなって、生活の中に根付いていく。