精神の安定は、正しい方向に進んでいるという感覚からやってくる。
ではその「正しい方向」をどうやって認識したらいいのだろうか。
まずは「正しい方向」なるものが存在していると信じることである。
それは必然的に、目に見えないものの存在を信じるという態度が必要になる。なぜならその方向性の感覚は心の中にあり、目に見えないからだ。
それは言うなれば、雲によって隠れて見えないが、暗い夜空の向こうで北極星が輝いていると信じるようなものだ。
そういった目に見えない何か崇高なものが自分の心の奥に存在するのは当たり前のことであり、それに対するシニカルな態度というものは、百害あって一利なしとしか言いようがない。
自分の中にある良いものを信じる、感じることができなければ、自信など永久に持てないし、何か大切なことを表現することもできない。
といいつつ、目に見えない、崇高なものを感じるということは、もしかしたらとても難しいことかもしれない。
・目に見えないものは非合理なものであるという条件付け
・目に見えないものを信じることは中二病的な行為であるという条件付け
この二つの条件付けが、目に見えない崇高なものを知覚することをを難しくしている。
つまり目に見えないものは、すべて、幽霊や、何かくだらないオカルト的な、中二的なものであり、それを知覚しようと試みは、すべて非合理な態度であるという想いが、まっとうな常識人の中には根強くあるということだ。
しかもそれは半分正しい。
実際、「目に見えないもの」の多くは中二的な、くだらないオカルト的なものである。
それを目安にして人生を進めていけば、五里霧中の中にさまよう。
だがそのような濃霧の向こうに、非常にクリアな、抽象的で美しい、思考と感情を超えた、何か崇高で神秘的なものがある。
それは中原中也が「名辞以前の世界」と呼び、坂口安吾が「芸術のふるさと」と呼んだ意識状態である。現代瞑想用語で言えばそこは、高次メンタル界か、コーザル界と言ったところであろう。
そこは場所ではなく、意識状態である。その意識状態から、美しいアイデアは生まれる。その意識状態から、人生の方向性が得られる。
実はこの意識状態に、人は常に無意識的に日々の生活の中でアクセスしている。
このアクセス能力が正常に機能しているとき、人のメンタルヘルスは良好である。
だがこの意識状態へのアクセス能力に何かの障害が発生したとき、人生は五里霧中となり、メンタルヘルスはヤバくなっていく。
コーザル界へのアクセス能力を失い、何かヤバいと感じた人は、得てして、ドラッグやアルコールや、その類のものに溺れ始める。
なぜならコーザル界のひとつ下の意識状態、いわゆるアストラル界に、アルコールやその類のものは意識を近づけてくれるからだ。そしてアストラル界は、ちょっとだけ雰囲気がコーザル界に似ており、少なくとも物理的世界よりも意味深く感じられるものに満ちている。そこには何か深い意味があるように感じられる。
しかしアストラル界に満ちているのは、実のところ、人の心を迷わす中二病的コンテンツのみである。それは中毒的な魅力を持っている。
それに惹きつけられ、それを心に摂取し、その中毒になるほどに、日常の意識と高い意識の間には固く厚い壁が構築されていく。
図?に表すとこんな感じだ。
高い意識、ハイヤーセルフ、コーザル界
低い意識、壁、アストラル界、闇の迷宮
日常意識
こんな壁は穴を掘って貫かなければならない!
しかし壁を掘るという作業を始め、それを継続的に続け、最後までやりとげるには、なんにせよ、壁の向こうに何かいいものがあるということを信じなければならない。
そして、壁掘り作業の合間に、自分の意識を逸らそうとする、アストラル界に満ちる中二的コンテンツをスルーしなければならない。
そうしてこそ心の土木作業は効率よく完徹されるのである。