創作活動をしていて、しばしば「なぜ自分がこんな面白いアイデアを思いつくことができたのかわからない」「なぜこんな立派な作品が作れたのかわからない」といった驚きが生じることがある。

これはそんなに珍しいものではなく、大規模な作品の創作に限った話ではなく、小さな絵や音楽や、その他諸々のあらゆる規模の創作活動で起こりうる。この現象が起こる鍵は、一定以上の深さの集中であるように思う。

生じたアイデアや作品の形に対して、なぜ驚きを感じるのかというと、それが明らかに、自分の意識の中にある何かから生じたものであるようには思えないからである。

では偶然の産物なのかと言うと、そうとも思えない。なぜなら作品の全体的な構成が、偶然から生じるただのカオスの真逆、統一された意図の元に生じた何かしらの構造を持っているからである。

だがそんな全体構造を自分が考えたつもりはないし、考える能力もない。

ではそのような構造やアイデアはどこからやってきたのだろうか。

昔の人は芸術の女神、ムーサからやってくると考えていた。余談であり私事であるが、私も二十歳前半のころ、創作意欲がバリバリに高まっていて、調子に乗りまくっているとき、「あれ俺、なんか創作の女神的な存在の加護を受けてるんじゃないか」と強く感じていた。こういった感覚は極めて主観的なものであり、なんとも説明しにくいものだが、とにかくそういったものが強くあった。

しかしその後、小説でお金を稼ぐぞ、という強い目的意識に導かれた私は、目に見えないあやふやな感覚に頼るのはやめ、自分の力で、アイデアを生み、作品の全体構造を作る力を得ようとした。

それはうまくいかなかった。アイデアを生むことができるのは、考え疲れて思考がストップしたときのみであった。またそれを形にできるのは、ヤケになってそれを勢いにまかせて表現してしまったときのみであった。

だったら最初から、思考によってそれをガチガチに捉えようとする無駄な努力をやめて、なんとなくの直感の任せた創作活動をしている方がスムーズなアウトプットができるはずだった。

だが私の創作活動の動機のひとつとして、お金を稼ごうというものがあり、それは稼がねば生きていけないというソリッドなサバイバル感に根付いたものであった。つまり死にたくないという恐怖に根付いたものであった。

恐怖に根付いた行動というものは、必ず新たな恐怖を呼ぶ。

夢の中で怪物に出会い、その怪物に恐怖を感じたとき、その怪物の恐ろしさはより強くなり、恐怖はどんどん増大していく。

恐ろしいものに出会ったとき、必要なのは、戦うことでも、逃げることでもない。恐怖の対象を直視することだ。新呼吸して、自分の恐怖を深く感じながら、その対象を直視する。やがてその恐怖が完全に溶けて消え去るまで。

しかしそのような意識の使い方を知らない私としては、回し車のハムスターのように、恐怖から逃げようとして思考を働かせる。

恐怖→思考→恐怖→思考というような回路が脳内に形成され、それは日に日に強化されていく。

その回路の中で、直感を得る能力は日に日に弱まっていった。

何か新しいものを生み出すには直感に頼る必要がある。しかし直感は心が穏やかなとき、ある種の適当さに心安らいでいるときにやってくる。

人生に怯えながら、ずっと壊れたレコードのような思考活動を続けていては、なかなか自分の中の直感的な部分と繋がることはできない。

そんなこんなで私と「創作の女神」との情報回路の帯域幅は急激に細くなり、ADSLからISDNそして、昔のモデム並みに通信速度は低下していった。それに伴いアウトプットの量は飛躍的に少なくなっていった。

この時期の、自分を導いてくれている目に見えない存在との別離感覚が、拙著「超人計画」や「僕のエア」には濃厚に反映されている。

この体験ははっきりいってマジで厳しく辛く寂しいものであり、全宇宙でひとりぼっちになり、しかも自分の中にあった魔法のような創造の力が完全に失われた感じがするという恐るべきものである。

だがこのような恐るべき体験も実は人間にとっては、ひとつの定型的なパターンであるらしく、とある文化圏でそれは「魂の闇夜」などという名で呼ばれている。

その暗闇の中、真っ暗闇であるからこそ、光の必要性が強く感じられる。そのような切実さの中で心から光を求める体験を、魂の闇夜の中では体験できる。その求めに応じて光が心の中に差し込んでくるのは、感動的な体験である。

しかしそのような聖なる感動も束の間、結局は地道な作業がそのあとに続く。

チューニングの壊れたラジオのような自分の心を、地道に光に向け直していく作業が続く。

それは大規模な内なる土木工事であり、内なるスカイツリー建設事業、いや、軌道エレベーター建設事業のようなものである。

その軌道エレベーターは生命の木とも呼ばれており、それによって心の中の天と地が一つに結ばれたとき、自分というシステムの効率性、有用性は一回りふた回り大きな形でアップデートされる。

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