前回の『本と人生 番外編 フリーコミュニケーション・ワーク』から続く
2016年10月某日、夜。私は友人と新宿東口で瞑想していた。より具体的に書くとすれば、いわゆるルミナスボディ瞑想をしていた。
その日、私は外での仕事が終わったあと、フリーコミュニケーション・ワークをするために新宿に訪れていた。
フリーコミュニケーションとは、街で知らない人に声をかけることによって、自己をさまざまな側面から啓発し、成長させようとするワークのことである。
空手道においては、いかつい男たち、あるいは女たちが、相手の肉体に攻撃を加えよう、あるいは相手の攻撃から己を守ろうとする。その修練よって、空手道を学ぶものは、自己を啓発し、成長させることができる。
フリーコミュニケーション・ワークにおいては、魅力を感じる異性、あるいは同性との間に、望みの形のコミュニケーションを形成しようとする。その試みの中で、フリーコミュニケーションを学ぶものは、自他に対するさまざまな発見をし、自己を啓発し成長させてゆくことができる。
「攻撃&防御」という空手道における学習手段と、「望みのコミュニケーションの形成」というフリーコミュニケーションにおける学習手段は、まるで真逆のものである。
だが、その目的は、両者とも「自己の啓発&成長」である。その点において、空手道とフリーコミュニケーションは、ほぼ同一の行為であるということができる。
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空手道などの古くから伝わる自己啓発のためのワークは、その学習手段の焦点が、肉体のサバイバルに置かれていることが多い。
一方、現代最先端の自己啓発のためのワークである、フリーコミュニケーション・ワークなどでは、その学習手段の焦点が、「楽しさ、快楽、面白さ」などに置かれていることが多い。
これは、馬を目的地まで走らせるために、どのような動機付けを用いるかということである。
フリーコミュニケーション・ワークなどの現代的ワークでは、「苦痛ではなく、喜びによって学び、成長する」ことに重点が置かれていることが多い。それは、馬が、ムチに叩かれて走るのではなく、道路に点在している美味しい、素晴らしい、夢のようなニンジンを食べるために、自ら望んで長距離を走り出すようなものである。しかし私が馬だとしたら、その夜は一歩も走りたくなかった。
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その夜も私は何か素晴らしいフリーコミュニケーションが顕現することを漠然と夢見、新宿に訪れたのであった。だがその日は仕事で疲れているということもあり、なんだか、やる気が出なかった。
私は友人に尋ねた。
「なんとかしてうまく、なんの苦労もなく、いいことが勝手に起こるようなフリーコミュニケーションの方法はないですかね?」
この友人とは長年一緒にフリーコミュニケーション・ワークをやってきた仲である。
だが最近彼は、精神的、物理的に、満たされており、すでにフリーコミュニケーションワークにおける目標を達成したのかもしれないとして、フリーコミュニケーション・ワークの実践から離れていた。
よって今夜、フリーコミュニケーション・ワークの実践、すなわち、知らない人に声をかけるのは、私だけである。
私は彼にコーチングを頼んだ。
すなわち、私が最も手っ取り早く成長するためのアドバイスを、客観的な立場から私に与えてくれと頼んだ。
新宿東口には、奇抜な格好をしたナンパ師あるいはスカウトがたくさんおり、その中に混じって、フリーコミュニケーション・ワークの実践を控え怯えている私がいる。
知らない人、しかも自分が魅力を感じる異性に声をかけようとするとき、私は必ず平常心を失い、意識レベルが低下する。
そんなとき、客観的な、平静な意識状態を保ち、傍から見守ってくれているコーチがいてくれたらどんなに心強いだろう。
実際、彼はそのような、フリーコミュニケーション・ワークを支援するサービスをホームページで提供している。
私は友達ということで、いつもそのサービスをタダで提供してもらっているというわけだ。
だがどんな素晴らしいアドバイスをもらっても今日はもうダメだ。そんな気がする。私は友人に泣き言を吐いた。
「いやー本当に今日はやる気がでないんですよねー。なんでわざわざ知らない人に声をかけなきゃいけないんですかね。頭がおかしいですよね、本当に。誰かが向こうから勝手にこっちに話しかけてきてくれないですかね。なんかいいアイデアないですかね?」
友人はシータヒーリング(私が知る限り、もっともよくできているヒーリングテクニックのひとつ)のプラクティショナーというやつでもある。
彼は新宿の雑踏の中、一瞬目を閉じて、第七層(シータヒーリング用語のひとつ。意識状態を7つの階層にわけたものの内、もっとも高い階層のこと)に意識を向けると、その高い意識状態から私をリーディングし、今の私にとってもっとも有用な言葉を発した。(というような作業をしたのだと思われる)
「いま、滝本さんが、生活の中で一番ワクワクすることってなんですか?」
「いやーそれはアレですね。瞑想ですね」
「どんな瞑想ですか?」
「いま一番アツい瞑想は、やっぱりアレですね。ルミナスボディ瞑想ですね」
「ルミナスボディ?」
「それはですね」
私は新宿東口の、銀色のパイプ状の座れるところに座りながら、隣の友人に、今自分がハマっている瞑想について熱く語り始めた。
自分がハマっていることについては、専門用語を使って、得意げに語ってしまう癖がいつまでも治らない。
「まずライトボディってのがあるんですよ」
「はー」
「ライトボディってのは、瞑想システムによって、いろいろな出し方があるんですが、まあ文字通り、光でできた体です。私がやってるorindaben.comの瞑想では、まず7つのヴァイブレーショナル・エナジーボディってのを出すんですよ。このヴァイブレーショナル・エナジーボディは、いわゆるチャクラと同じ場所にあるんですが、それよりももう少し上のレイヤー、つまり、自分の魂に近い、精妙な領域に存在している、目に見えないセンターです」
「はー」
「で、そのヴァイブレーショナル・エナジーボディを、出して、滑らかにハーモナイズすると、体の周りに半径1メートルぐらいの透明なエネルギーの球体ができます。その球体に包まれた状態で、さらに胸の真ん中にめっちゃ小さい光の点を想像するわけです。そうすると、その光の点が、いつの間にか、半径9メートルぐらいの、でっかい光の球体になります。それがライトボディです」
「へー」
「で、そのライトボディ状態から、ガイドに頼んで……あ、ガイドってのは、スピリチュアル的に私を導く、目に見えない世界に存在するガイドですね。そいつに頼んで、ルミナスボディというものに意識を移行します。ルミナスボディをシータヒーリング的な用語で説明するとすれば、第七層、すべてなるものの創造主と同一化した意識レイヤーにおける、自分の体といったところなんでしょうか。でもルミナスボディ状態は、イメージや思考を超えている意識状態なので、私的にも、何が何だかよくわかりません。言葉では説明するのは無理なんですけど、とにかくなんか凄いんです」
「なるほど」
「で、そのルミナスボディ瞑想が、とにかく今の私のマイブームなんですよ! これは本当に、凄いんです。何が凄いかもよく説明できないんですけど、なんとなく、ルミナスボディになると、時間と空間を超えている感じがして、過去現在未来に、一気に何かの変化を起こしてる感じがします。なんかこの瞑想をすると、そのあとで異様にいろんなシンクロニシティが起こる気がします。そういえばずっと前の川崎でのフリーコミュニケーション・ワークのときも、ルミナスボディ瞑想をドーナツ屋でしたあと、面白いことが起こった気がする!」
「じゃあ、それをやってみたらどうですか?」
「え、今ですか? ここで?」
「はい」
「じゃあ……やってみます」
というわけで、新宿東口で、ナンパ師などのたむろするそな隙間で、私はルミナスボディ瞑想をすることにした。
はっきりいって、ライトボディ瞑想をするのは、私の日常となっている。たとえ歌舞伎町のもっとも空気が汚れたような場所でもライトボディ瞑想をすることができる。
だがルミナスボディ瞑想を屋外ですることにはまだ慣れていない。これは私にとってまだ新しい瞑想であり、まだそのエネルギーに十分馴染んでいない気がする。
果たしてできるだろうか? こんなセカンドバッグ、今の言葉で言うところのクラッチバッグを抱えたナンパ師あるいはスカウトに囲まれた場所で。
まったく、こんなところで瞑想をしたとして、一体何がどうなるというのだろう?
(そもそも瞑想なんかしたところで、いきなり何か都合のいい面白いことなんて起こるわけがないんだよ、常識的に考えて!)と、私の中の、悪質に変性した世間様が一般常識を吠える。
だが私は基本、素直な性格だ。
その夜もコーチのアドバイスには淡々と従った。
「…………」
まず目を閉じる。
そして私は軽く、7つのヴァイブレーショナル・エナジーボディをハーモナイズした。
それからライトボディを出し、その茫漠とした光の球体と、その中に満ちるフリークエンシーに包まれながら、心の中でガイドを呼んだ。
ガイドの発する精妙な光に包まれながら、ライトボディを拡大させ、その光の境界を、なんだかよくわからない、果てのない虚空へと溶かしていく。
そのなんだかよくわからない虚空の中にルミナスボディがあるような気がした。
その意識状態の中、新宿の物理空間と、エーテル的なレイヤーと、光のレイヤーと、それらの過去現在未来と、さまざまな可能性が、ルミナスな、不思議な光の中で、渾然一体と結びついていった、そんな気がした。
私はルミナスな、心の目にも見えない光を集めて、それに浸った。
温泉に浸かるように。
あー、なんだか平和な気分だ。
ルミナスな光はまるで温泉のようだ。
その温泉のお湯は、いかなる目にも見えず、透明で、熱くも冷たくもなく、ちょうどいい温度だ。
まるで原初の闇。宇宙が生まれる前の原初の闇のような光の中、私は新宿東口で目を瞑り、瞑想の中で、安らいでいた。
(ちなみに、このような感覚にもしかしたら関連してるかもしれない短編小説作品として「ゆけむり梵夜温泉!」なるものが本ホームページ上に存在している)
そして……あるとき、あるタイミングで、私は目を開けた。
朦朧とした意識で思う。
よし。結構いい瞑想ができたぞ。
あー、さっぱりした。
そう思いつつ周囲を見回した、そのときのことである。セーラー服を着た女子高生二人組が私に声をかけてきた!
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先の瞑想は、確かにナイスメディテーションであったが、現実的には、何も特筆すべきことは何もないように感じた。
瞑想を終えた私は、あーさっぱりしたと言う気持ちで、周囲を見回した。
少し離れたところに二人の女子高生がいるのが目に入った。何か若くてキラキラしている感があった。
また依然として、周囲には奇抜な格好をしたナンパ師たちがおり、右から左、左から右へと歩き去っていく沢山の人々がいた。
そして道端の、銀色のパイプのに、友人と私は静かに腰を下ろしていた。
だが特に、何も変わったことはない……。
と思ったそのときのことであった。つまり瞑想を終え、目を開け、およそ5秒後のことであった、セーラー服を着た女子高生二人組が私に近づいてきて声をかけてきたのは。
「あの、滝本さんですか?」
「え、そうですけど」
挙動不審になりつつ話を聞く。
かくかくしかじか。
すると、どうやら、以前に私が出演した「真夜中のニャーゴ」というフジテレビホウドウキョクの番組(このリンクから観れます)を観て、私の顔を覚えていてくれたらしい。
それで声をかけてくれたということらしい。
だが……瞑想という行為を見られて、怪しい存在だと思われたかもしれないたかもしれない。
不安に思った私は、早口で今、自分が何をしていたかを説明した。
- 私はあの番組でも喋った通り、フリーコミュニケーション・ワークというものをやっている。今日もこれからやるところだった。
- だが、今日は自分から声をかけるのが面倒だったので、瞑想をすることにより、何か面白いことを引き寄せようと試みていた。
- あの番組「真夜中のニャーゴ」で私が紹介した本『インナーベガス ラスベガスとヘミシンクに学んだ 富と成功の秘訣』にも書かれている通り、瞑想には、望みのものを引き寄せる力があるのだ。
- といいつつも半信半疑でいたところ、君達が本当にナイスタイミングで声をかけてくれて、私は今、とてもありがたく感じ、かつ達成感を感じている。
- ありがとう!
と、いうようなことを私は話したと思う。
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その後、私と友人と、その二人組は、しばらく世間話を交わした。
私に話しかけてきてくれたその若者たちは、ふたりとも可愛らしく、魅力的であり、また人間としての高い潜在能力も感じられた。
彼女たちと世間話をするのは、深い喜びの感じられる体験であった。
世間話を終え、別れた後も、夢のような感覚が私の中に続いていた。
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この夢のような感覚を生活の全領域に広げ、深め、強めていきたい。それが私の目的である。
それを本ホームページのキャッチコピーでは、「二次元を超えて五次元に至る」と表現している。
二次元、すなわちアニメのような、何か都合のいい空想のような、色鮮やかなワクワクすることを、三次元、この現実の中に、心の力によって起こす力をマスターしたい。
そのとき人は、二次元と三次元のマスターとなり、そのとき人は五次元に生きるようになる。
そのような意識の進化ための手段のひとつが、フリーコミュニケーション・ワークであり、瞑想である。