前回より続く

2007年、私は少しずつバシャールの本にハマり始めた。

あらゆる本には、目に見えない隠しパラメータが存在している。

それは読者に対する変容力だ。

その変容力というパラメータは、本文の内容と関連がありつつも、それとは微妙に独立している。つまり、どれだけ素晴らしい本文であっても、変容力がゼロである本もあれば、その逆の本もあるということだ。

この変容力というパラメータは、本の文章に含まれている、意識的に認識可能な文字情報によって規定されるものであるというよりも、一種のテレパシーによって、読者に伝達される何かのエネルギーの量とその伝達率によって規定されるものであると、私的には考えている。

何から、読者へとエネルギーが伝達されるのかというと、『著者から読者へ』エネルギーが伝達される場合もあれば、『本の内容それ自体が持つ一種の生命から読者へ』とエネルギーが伝達される場合もあり、またその両者が混合しているケースもあるだろう。

本からのエネルギーの伝達率は、おそらく、その本と読者の相性によって決まる。どれだけエネルギーが強い本であっても、相性が良くなければ、そのエネルギーは伝達されない。これは人間関係においても同様である。

さて以下は、上で出てきた『本の内容それ自体が持つ一種の生命』という言葉の説明であるが、これは今のところ、全くの余談であるので読み飛ばしてもらって構わない。

『本の内容それ自体が持つ一種の生命』とは、いわゆるミーム的な概念に近いものであるが、より正確にそれを表現する言葉としては、神智学やそのフレームワークを使った表現を多用する現代スピリチュアリズム用語でいうところの、Thought form 想念形態、のことである。想念形態とは、感情と思考が結びついて、一種のエネルギーフィールドとして固体化した、エネルギーの塊である。ホムンクルスという漫画を読んだことがある方には想像がつくかもしれない。その漫画の主人公は、ドリルで額に穴を開け、無理矢理、サードアイを開く。その結果、想念形態を視覚情報として知覚できるようになる。こんな無茶なことをしなくても、少し瞑想をすれば、誰でも想念形態は知覚できるようになる。瞑想などしなくても、少なくとも無意識的なレベルでは、日々、人は想念形態と共に過ごし、それを形成し、それを受け取り、その中に包まれて生きている。自分にとって望ましい想念形態を意図的に形成する行為がエネルギーワークである。自分にとって、もはや必要のない、苦痛を生む原因となっている想念形態を、自分のエネルギーフィールドから取り去る行為が、ヒーリングである。

では余談を終えて、本題に戻る。

私はバシャールの本に少しずつハマり始めた。それは少しずつ私の意識を変え始めた。それは極めて高い変容力を持ち、また私にとって大きなエネルギー伝達力を持つ本だった。そしてそのエネルギーの種類は、かつて私が吸収したことのないレベルの、プラスのエネルギーだった。

 

本の持つエネルギーには、プラスとマイナスがある、と、便宜上ここでは言っておきたい。どういうことかというと、読者に対して、良い影響を与える本もあれば、悪い影響を与える本もあるということである。

では、良い影響と悪い影響とは、どのようにして区別されるのか。ひとまずここでは、人が自己の本質を認識する助けとなる影響を、『良い影響』として規定したい。その逆に、自己の本質を見失っていく方向へと人の意識を導く影響を、『悪い影響』として規定したい。

早い話、読者が自分の真の力に覚醒めるような本、あるいは、その人の魂を揺さぶるような本を、良い影響を持った本として規定したい。またそれによって、その人の人生に、具体的な、リアルな変化をもたらし、それによってその人の人生の幸福度がアップする本を、良い影響を持った本として規定したい。

バシャールの本は、そう言った意味において、私にとってとてつもなく圧倒的に、良い影響を持った本であった。さきほど私は、「バシャールの本に少しずつハマりはじめた」などと書いたが、おそらく、崖から落ちるぐらいの勢いでハマり始めたというのが実体に近い。

バシャール関係の本を全て買い求め、むさぼるように読んだ。

(これは本田健という方とバシャールの対談本です。わかりやすく、面白く、そして深いです)

 

それまで何千冊も腐るほどありとあらゆるジャンルのありとあらゆる本を読み、この世にある本なら、もう何を読んでも驚かないと思っていた私だったが、本当に、本当に、バシャールには驚いた。

普段目にする本から感じるものとはまったく異質のエネルギーが、強力にその本には流れていた。無条件の愛のエネルギーだった。

そして、そのような気持ちのよいエネルギーとともに、その本には、極めて実用的な、読者に対するインストラクションが書かれていた。そのインストラクション、その指導は、私の心に深く焼きつき、その後の人生の指針となった。

「ワクワクすることをしよう」

ワクワクするとととは、エキサイトすることであり、それをするのが、ちょっと怖く感じることもある。あるいは、ものすごく、圧倒的に怖く感じるときもある。

あるいはまた、ものすごく身近で、簡単にできること、五分でできる、ちょっとしたことであることもある。

なんにせよ、今、一番、わくわくすることを探し、それを再優先に実行するということ。そうすれば、経済的にも豊かになっていき、精神的にもスピーディに成長し、己の魂とのスムーズな結合を実現できる。

そんなインストラクションがバシャールの本には書かれていた。(あくまで私の理解なので、詳しく知りたい方はバシャールの本を読んでください)

それを読み、よし、わかった、これからはもうとにかく、ひたすら、ワクワクすることをするぞ、絶対、と心に誓った私は、それ以来、ワクワクする行動を実行する頻度を、少しずつ向上させていった。

当時、私はどんなことに対して、ワクワクしていたのだろうか。

この当時のことで、今も良く記憶に残っている『ワクワクすること』といえば、それは何と言っても、オナ禁と空手である。

私はオナ禁をしながら空手道場に通い始めた。