前回から続く

2008年ごろのこと、私は『ずっとやりたかったことを、やりなさい。 のワークをひたすら続けていた。続ければ続けるほど、生活内容がぐぐぐっと変わっていった。
モーニング・ページを書き、アーティスト・デートを続けるうちに、避けて通れないことがいくつも浮かび上がってきた。一度、紙に書かれたことはもう二度と、意識の深みへと、目に見えない闇の中へと沈んでいくことはないようだった。
紙に書いたことは、それが達成したい夢でも、解決したい問題でも、解きほぐしたい混乱でも、急速に意識の光が当たり、意識の光が当たったものには明晰さが生じた。そして明確に認識された自分の心のエネルギーは、急速に現実を変えていった。

それは自分の心の中の、それを見ることを自分で自分に禁止したものを直視するという作業でもあった。
絶対に見てはいけないと鍵をかけた扉を開けるような行為だった。などと書くと激しく恐ろしい行為のように思えるが、より実状に即した表現をするなら、掃除していない押入を開け、中にあるがらくたを掃除し、その中に置き忘れていた美しい宝物を見つけるような行為であった。

そんな作業をしながら私は一つの小説を書いた。
タートル・イン・ザ・バルドゥという短編小説だ。
これはKOBOカフェという中野ブロードウェイのブックカフェで配布された。テーマ的には『僕のエア』という長編小説の続編のような話であった。
今、駅前のスターバックスでiPhoneのEvernoteを開いてタートル・イン・ザ・バルドゥを読み返してみたところ、涙がこみ上げてくるのを押さえられなかった。この小説が果たして他の人にとっても何かしらこのような深い感情を呼び起こす小説なのかどうか私にはわからない。
だがこの小説執筆を期に、本格的に私の人生は方向を変えた。

ところで、私の人生は自分の書く小説と密接に結びついているところがあり、書いたことが後で現実になることがままある。
(例:魔法使いがヒロインの小説を書いてしばらくした後、魔女と仲良くなる等)
タートル・イン・ザ・バルドゥでは、主人公が臨死体験中に、あの世とこの世の境目で、おそらくはアセンデッドマスター的な意識存在からヒーリングを受ける。そして、今までふたをして見ないようにしていた、自分の心の中の闇をすべて見てそれを消化すると決意し、それを行動に移す。
そのような小説を書き上げた日のことである。『亀のタートルと主人公がお花畑を歩いて行く』という小説のクライマックス・シーンを書き始めると、嗚咽がこみ上げてきて止まらなくなった。私はそれまで流したことのない量の涙を流した。

そしてその夜、いつものベッドで普通に寝ていると、ふいに私は自分が宇宙空間に浮かんでいることに気づいた。いや、より正確に書くなら、自分の体の中が宇宙空間であることに気づいた。目をつぶっていると、自分の体の中がとてつもなく広い宇宙空間であると感じられた。その宇宙空間には沢山の星が浮かんでいた。その宇宙空間に意識を向けていると、どこからか光の波が生じ、その広大な宇宙空間を前後左右にリズミカルに移動し始めた。

美しい光のパルスが、宇宙空間のように広大な、私の体の中を、リズミカルに移動していく。寄せては返すその光の波が私の心と体を洗っていく。それは唐突に始まった光のヒーリング・セッションだった。

あの夜、誰かが私のことをヒーリングしてくれたのである。たぶんあらゆる人間は心の中で相互に繋がっている。だから私が小説を書きながら発した「今、癒されることを望む」という意志は、即座に誰か、遠隔ヒーリングが得意な存在のもとへと伝わったのだろう。それによって私は遠隔ヒーリングされたのであろう。
今はそのようにあの日の体験を解釈している。その解釈が本当かどうか確かめるすべはないが、何かの役に立つかもしれないので、自分の主観的体験と、それに対する今時点での解釈をここにシェアしておく。

それにしてもあれは気持ちよく不思議で深淵な体験だった。本当は大勢の人が密かに、こんな主観的で不思議な意味深い体験を、何度も体験しているに違いないと私は思う。そしてそれによって心の向きが正しい方向へと回っていくのだと思う。

Fotolia_78950722_XS