これまであらすじ
21世紀初頭、二十代前半の私は、いろいろあって宇宙の真理を悟った。そして忘れた。そしてまた悟った。そしてまた忘れた。
そんなことを、私は何度か繰り返した。
そして最終的に私は確信した。「普段の日常的な意識ではそれが何なのかをキープすることはできないが、それでも宇宙の真理、それは明確に存在する。それはこの世で何よりも意味深く、面白いものだ。それを知り、それを自らのものにすること、それのみが意味のあることだ」
そして私は深く決意した。「なんとかして宇宙の真理を自分のものにした上で、多くの人々に伝えるぞ。もしその試みに成功したら全世界が変わる。だからそれを人生の目標とするぞ」
(この決心のエピソードはまだどこにも書かれていない。いつか書くかもしれない)
しかし宇宙の真理などというものを直接的に人々に知らせようとすれば、頭がおかしい人だと思われてしまう。そこで私は自分が書いている小説に、さりげなく宇宙の真理を混ぜ込んで行くことにした。「超人計画」以降の私の作品は明確にそういった意図に基づいて書かれている。少なくともそういった意図が執筆動機の何割かに含まれている。
小説や物語というのは、直接的に言いにくいことを語るのにうってつけのメディアである。また、通常の日常的意識では理解できないことも、物語というフィルターを通すことで、人の非日常的意識、潜在意識へと、物語の抽象的なパターンを通じて伝達することができる。
しかしその試みは、なかなかうまく行かなかった。うまく行かなかった理由はいろいろある。第一に、私の日常生活と、私が表現したい「宇宙の真理」の間に、五千光年ほども距離が離れていたというのがある。
ハタ・ヨガをやってちょっと健康になってみたが、それで何かの啓示を受けたり、悟り状態がキープされるということもなかった。
ヨガや人間の心にまつわるあれこれを調べることによって、人類が連綿と築きあげてきた様々な悟りのためのメソッド、すなわち宇宙の真理と自らを合一させるための、多種多様な方法論を私は知った。
しかしどれだけサーフィン雑誌を読んでも、海に入って実際にサーフィンを何度も繰り返す事以外ではサーフィンに上達することができないのと同じように、方法論の学習は、それのみでは、その方法論の実践によって得られるであろうものを私に与えてくれることはなかった。
それどころか、私の日常生活は、宇宙の真理どころか、人間としての望ましい生活のありようよりも遥か下にあった。上、下、などという二極的な、差別的な表現をすることをお許し頂きたい。だが当時の私の生活は本当に酷いものだった。ヘドロの沼地のようなものだった。なぜそのような生活を送っていたのかといえば、ひとえにその理由は、私のパーソナリティに様々な歪みがあったからである。一言で言えば性格が悪かったからである。私は自分のパーソナリティが無意識的に創造するヘドロに取り囲まれ、その中で身動きがとれなくなっていた。
一方で私が表現したい「宇宙の真理」はエベレストよりも高い、ほとんど空気も無いぐらいの高みで輝いている何かだった。だってそれは宇宙の真理だもの、やっぱりとても高いところに浮いてる気がする。そんな高いところにあるものに、ときに私は、何かの偶然、何かの幸運によって、自分の意識を届かせることができた。しかしすぐに私の意識は日常的なヘドロ的な沼地へと帰ってきてしまい、そのドロドロのヘドロに首まで浸かってしまうのだった。そんな状態で表現できるものといえば、身の回りにある、そして自分の内部にあるヘドロと、かすかに雰囲気的に心のどこかに記録されている、あの遥か高みにある宇宙の輝きの一瞬の瞥見、そのわずかな記憶だけだった。
私は沼地からジャンプして宇宙の真理に手を伸ばし、そしてまた沼地により深く落下するという行為を繰り返した。沼地はどんどん深く広くなっていくようだった。私の生活の中に広がっていくその暗黒のヘドロ地帯は、もはや手の施しようがないように感じられた。
そんな生活を送るうちに、ついに私は、どうしても自分のものにならず、どうしても自分の手では表現することが叶わない宇宙の真理などというものを自在に語っているらしい存在への、恨みや憎しみを心の中に溜め込み始めた。その無意識下の恨みとフラストレーションを、私は『バシャール』を貶めるという卑劣な行為によってついに炸裂させた。
バシャールという宇宙人や彼の語っているらしい宇宙の真理なんてものは所詮、発情期に発情する雌犬のようなものだというメッセージが、私がシナリオを書いたPCゲーム、『True World 真実のセカイ』の一ヒロイン、バシャール・グリグラというキャラクターには込められていたのかもしれない。
そんな薄暗い無意識下の悪意が込められていたのかもしれないとはいえ、そのゲームシナリオは私の初期の仕事における傑作となった。私はいい文章が書けたことに満足しながら、しかし依然として方向性を見失ったまま、その年の暮れを迎えた。
大晦日には実家でテレビを観るのが私の何年も続いている習慣だった。
居間のテレビでは他の家族が、紅白歌合戦を観ているようだった。
私は祖母の部屋のテレビで、格闘技の番組をつけた。
その番組で、私は須藤元気という格闘家の引退試合を偶然に観た。
須藤元気という格闘家は入場する際に、これまで観たこともないような独特のダンスを踊っていた。『今年はマヤ暦や、三次元から四次元への移行に注目しています』と彼が語っていたらしいことを解説者が紹介した。そしてリングに入った彼はこれまで私が一度も観たことがないようなスタイルで戦って勝利したのちに、世界各国の国旗と『WE ARE ALL ONE』というメッセージが書かれた旗を広げ、そして『この試合を最後に引退する』と告げた。
彼のその一つ一つの動作、行動のパーツの裏側に、他の格闘家とは違う、いや、他の人間とは違う、何か極めて異質な、異様な動機が存在しているのを私は感じた。
愛や優しさ、そんなものが存在しているのを感じた。
テレビを通して、格闘技という殺伐とした、殺し合いのような行動を通して、輝くような、愛や優しさが表現されているのを感じた私は、強い衝撃を受けた。
そして彼の試合や名前のことが忘れられなくなった。自慢ではないが私は人の名前はすぐ忘れる。芸能人の名前は三人ぐらいしかしらない。しかし須藤元気という名前はずっと私の記憶の中に残っていた。
数カ月後、新しい年、2007年に、再び実家を離れ、東京で生活をしていた私が、中野の本屋で、表紙に須藤元気の名前が書かた本を手に取るまで、私はその名前を覚えていた。
そして私が偶然、手に取ったその本には、須藤元気という名前の隣に、もう一つ、カタカナの、外人の人名のようなものが書かれていた。
その『バシャール スドウゲンキ』という書名の本を、私は三十分ほども迷った後に、強い抵抗感を乗り越えて購入すると、自宅に持ち帰って読みふけった。