物事を正しく継続したとき、その領域でエゴが薄くなるという効果が生じる。
逆に言えば、間違った意図を持って物事を継続したとき、その領域でエゴが厚くなる。
エゴが薄くなった領域ではさまざまなポジティブな効果が生じる。
- 新しいアイデアの流入量が増える
- 行動が自発的にスムーズに生じる
- シンクロニシティが増える
- いつどのように何をすればいいか自然にわかるようになる
エゴが厚くなった領域では真逆の効果が生じる
- 新しいアイデアの流入が止まり、古い思考パターンへの執着が生じる
- 行動を機械的に、不自然に、努力によって起こす必要性が生じる
- 逆向きのシンクロ二シティが増え、物事がぎくしゃくする
- 何をすべきかわからなくなり、外部的な行動規範に頼らざるを得なくなる
当然、エゴが薄くい領域では幸せ感を得やすく、エゴが厚い領域では不幸感を濃く感じる。
メンタルヘルスの健全さは、ひとえに、このエゴの薄さに比例している。
エゴの薄さとはつまり、自分の深い部分にある高次元の自分との接続率の高さを表している。
幸せ感や安心感は、この高次元の自分から日常の自分へと、目に見えないエネルギーとして流入してくる。
物理的な根拠に依存することなく無条件に流入してくる幸せ感があってこそ、メンタルヘルスの健全さが保たれる。
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エゴとは心の壁である。
その心の壁は、高次元の自分と、日常の自分の間に立ち、両者の接続を絶つ。
それによって、高次元の自分から流れてくる幸せ感の自然な供給が止まり、それによって、人のメンタルヘルスは悪化する。そして人は不幸になる。
不幸を体験したいという無意識的、意識的願望を抱く人は多い。エゴ、心の壁、ATフィールドを厚くすることは、そのための役に立つ。
しかし幸せ感を求める場合は、できる限り、エゴを薄くしてゆき、高次元の自分と、日常の自分の間にある壁を透明化していった方がいい。
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日々の生活の中で行う継続的な行動は、心の壁を薄くするために捧げるべきである。
継続とは物事を一方向に押すことである。押す方向によっては、エゴを分厚くすることもできるし、エゴを薄くすることもできる。
物事を継続することそれ自体には、プラスの方向性も、マイナスの方向性もない。それは意図に沿った結果を生むだけである。
継続的行動は、なんらかの結果を物理的にも心理的にも生じさせるが、その結果は、人が心の中で意図していた想いが形として現れたものである。
心の壁を薄くするという意図。自分を重くするのではなく軽くするという意図。自分を守るのではなく開いていくという意図。
そのような意図を持って、何かしらの継続的な行動を行ったとき、人の心の壁は薄くなってゆき、それによって人は幸せになっていく。
このような意図とともに何かを継続的に行ったとき、それはエゴを薄くするための内なるワークとして機能し始める。
でなければその継続的な努力はただ人を重く、固くして疲れさせるだけだろう。