『目覚める』とは、自分の中にある認知の歪みを認識し、それを解除し、書き換えることができるようになることである。

これをするにあたっては、自分の中にある魂的な部分、霊的な部分などの高次元レイヤーと、この日常の自分を接続する必要がある。

なぜなら、この日常の自分は、歪んだ認知によって構成されているからである。歪んだ定規にとって、曲線は直線として把握される。よって、日常の自分は、歪みを歪みとして認識することができない。

そのため、この日常の自分が持っている、歪んだ認知を知覚するには、自分の中の、歪んでいない部分である、魂や霊的なレイヤーとつながる必要がある。真っ直ぐな部分によってのみ、真っ直ぐではないものが歪んでいることを把握できる。

しかしそのようなレイヤーとつながることを、認知の歪みが妨害している。その認知の歪みがある限り、自分の中の歪んでいない真っ直ぐな部分を認識し、それを自分の一部として理解し、それとつながることができない。

ここに目覚めることの難しさがある。

目覚めていない限り、自分の中の高次元的な部分を直接的に認識することができないのだ。しかしその高次元的な部分が持つ真っ直ぐさを頼らない限り、自分の認知の歪みを解除することはできない。

よって、目覚めるためには、なんだかよくわからない、自分の中に存在しているのかどうかすらわからない、高次元的な部分の存在を『信じる』という態度が必要になる。

そしてその高次元的な部分に、なんだかよくわからないが、そんなものがあるらしい、自分の認知の歪みを解除してもらうよう依頼する必要がある。

そのような行為を『祈り』と言い、その結果を『奇跡』と呼ぶことができる。

奇跡によって認知の歪みが解消されたとき、『癒やし』が起こる。そして癒やされた分だけ、この日常の自分と、自分の中の高次元レイヤーは接続を回復する。

回復された高次元的レイヤーとの接続により、少しずつ認知の歪みは除去されていく。それとともに高次元レイヤーとの接続は、より太く強固になっていく。そのようなプロセスを経て、三次元の中で眠っていた意識は少しずつ羽根を伸ばすように目覚めていく。