創作活動とは、自分という存在を、エネルギーを流すパイプにするようなものです。
適当な量と間隔でそのパイプにエネルギーを流し続けることが大事です。あまり長時間、そのパイプにエネルギーを流すのを怠ると、そのパイプは詰まってしまいます。またあまりに短時間に、大量のエネルギーを流すと、そのパイプは破裂してしまいます。
というわけで、適切な量のエネルギーを、適切な間隔でそのパイプに流すような感じで、創作活動をすると、一番効率よく創作活動を続けることができます。
とはいっても、これは言うは易しで、人はとかく極端に流れがちなものです。
ものすごい一気に沢山の創作活動を成し遂げようとしたり。
逆に、ぱたっと何もできなくなってしまったり。
という二極の間を行ったり来たりしがちです。
どうすればちょうどいいペース、自分にあったペースで創作活動をすることができるのでしょうか?
そのための具体的な方法はなんなのでしょうか?
一つの方法としてあるのが、「創作活動の様子をモニタリングする」ということです。
つまり創作日誌をつけるということです。
そして。今日は何時間、創作活動をした、今日はどのぐらいアウトプットをした、というデータを残すということです。グラフにまとめて、週末、月末にチェックしてみるのもいいでしょう。
ポイントは、そのようなデータを、ただ「自分の現状を確認するために使う」ということです。よく人はそのようなデータを元に、もっと改善しようとか、もっとアウトプットの量を増やそうなどと思ってしまいます。そして無駄な努力をしてしまいます。しかし無理な努力は、シーソーのような反動を招き、余計に創作のペースを乱す原因になります。
これはダイエットと一緒ですね。食べ物を減らそう、カロリーを減らそうなんて考えて、食べ物を減らすと、必ずリバウンドが生じます。そうではなく、ただ自分の現実の有様を、客観的にモニタリングするだけにとどめた方がいいのです。
自分の今の創作活動の状態を、その活動に向かっている時間や、アウトプットの量などという客観的な指標で記録しておきます。同時に、その日の気分やノリなどの主観的なデータも記録しておきます。そしてそのデータを、その日の夜と、週末と、月末に見直すわけです。
自分の創作活動の状態は、全く安定していないかもしれないし、ものすごく調子がよく創作活動ができているかもしれませんし、あるいは全くアウトプットがゼロという状態が続いているかもしれません。
とにかくそのようなデータを自分の現在の状態として受け入れながら、確認します。
このような、自分の創作活動の状態を客観視する行為それ自体に、創作活動のペースを安定化する作用があります。またそのような客観視の行為によって、クリエイターとしての自分についての様々な洞察が得られます。その洞察により、少しずつ自分の創作活動は安定化、効率化されていきます。
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ですが、そのようなデータを取ってみたとしても、創作活動のアウトプット量がずっとゼロの日が続き、そこに何の変化も生じないというスランプ状態が続く場合はどうしたらいいのでしょう?
自分がスランプに陥っているという気がしたら、まずスランプの原因について考えてみるといいかもしれません。
スランプの原因、それにはさまざまな可能性があります。
- 本当は創作活動をしたいけど、その衝動が何らかの要因によって阻害されている。
- 本当は創作活動をしたくない。だからできない。だが義務感によりしなければいけないと思い込んでいる。
- 本当に創作活動をしたい。だがまずは別の何かをすべきときである。
などなどのパターンが考えられます。もちろん他にも様々なパターンがあると思いますがとりあえず今回はこの三つについて、以下、ひとつずつ考えてみます。
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まずパターン1。この場合は、創作活動がしたいという欲望や情熱や動機はあるのに、それを行動に移そうとすると、何かの要因によってその行動にストップがかかってしまうという状態です。
例えば、以前、何かの創作活動をしたあとで、苦痛を味わった、などという体験を味わったとします。そのとき、「創作活動をすると苦痛を味わうことになる」、という学習をその人はしてしまうかもしれません。その学習を何度も積み重ねると、創作活動=苦痛=避けるべき行為である、という回路がその人の心の中に強く形成されます。結果、どれだけ創作活動をしたいという欲望がその人の中にあったとしても、その人は心の回路から自動的に生じてくる苦痛の感覚によって、創作活動をストップしてしまいます。
こういった場合は、創作活動をしたいという衝動が行動に現れるのをせき止めている心の回路の存在を認識し、それを書き換える、癒やす、といった行動が必要になります。
たとえばAさんが喜々として創作活動をしていたあるとき、Bさんが近寄ってきて、Aさんの創作物にダメ出しをします。それによってAさんは深く傷つき苦痛を味わいます。それによりAさんは創作活動をすることが怖くなってしまったとします。
このときAさんが傷ついた原因を調べ、その原因を書き換えることで、苦痛を消すことができます。
Aさんが傷ついたのは、Bさんのせいではありません。それはAさんが以下のような観念を心の中に持っているからです。(一例です)
- 自分の作品の価値は他人によって決められる。
- 自分の作品の価値と自分の存在の価値はリンクしている。
- 他人の意見、自分の意見、正しいのはどちらかひとつだけだ。
- 価値がない存在は苦しむべきである。
こういった観念がAさんの中にあったため、この観念に従ってAさんは傷ついたわけです。
、以下のような観念に置き換えます。(あくまで一例です)
- 私は自分の作品の価値を認めており、自分の作品を愛している。
- 私は自分の価値を認めており、自分を無条件に愛している。
- 他人の意見を他人の意見として認めながら、それと違う自分の価値観を持つことができる。
- あらゆる存在には何かしらの価値がある。
このように自分の心の回路の基盤となる観念を適切に書き換えることで、創作行為を阻害する回路を、創作行為を促進する回路に修正することができます。
具体的にどのような作業によって観念を書き換えるかというと、いわゆる認知行動療法的な手法で、紙とペンを使うようなやり方もあれば、ヒーリング的な謎の特殊テクニックでやる方法もあれば、新たにインストールしたい観念を口頭でひたすら唱える、アファメーションという方法もあります。
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では次、パターン2「本当は創作活動をしたくない。だからやらない。だが義務感によりしなければいけないと思い込んでいる」という状況について考えてみたいと思います。
実際、こういう状況は沢山あります。プロのクリエイターの方も、いつも苦虫を噛み潰したような顔をしている、あるいは、この世の重荷を背負い込んでいるような悲壮な雰囲気を発していることがままあります。この場合はまずその「義務感」というものがどこから生じているのかを調べてみるといいと思います。
だいたい各種の仕事に関する義務感は、「サバイバルの恐怖」からやってきます。(人によりますが、一例として)
サバイバルの恐怖というのは、「これをやらないと貧窮欠乏して死ぬ」、という恐れのことです。
その恐れから逃げるために、かくかくしかじかの行動をするわけですが、その行動の背後にある動機が恐れである場合、どれだけかくかくしかじかの行動(つまりこの話の場合では創作行為ですね)を繰り返したとしても、無意識下、あるいは意識上にあるその恐れから逃れることはできません。
これは言うなれば、夢の中で追いかけてくる化物から逃れて前に走るほどに、自分を追いかけてくる恐ろしい化物はより巨大化していくというような状態です。その場合は、一旦、足を止めて振り向き、その恐怖そのものに直面し、向き合ってみるといいでしょう。
かくかくしかじかの行動をしないと、最悪、どうなってしまうのでしょうか。
どのような苦しい目にあうのでしょうか。
たとえとして、最悪、一家露頭に迷うというような状況が生じるかもしれません。では一家露頭に迷うと最悪どうなってしまうのでしょうか。
このように自問自答して、最悪な状態の限界、その核を探してみましょう。
自分の義務感の裏にある恐れ、その恐れの確信を調査します。
そして恐れの核が見つかったら、それを「何らかの手段」によって消滅させましょう。
「何らかの手段って何だよ?」という疑問があるかもしれません。ですがその手段に関して短くスピーディに説明することはとても難しいものがあります。。。
各種ヒーリング、各種瞑想、各種インナーワーク、いろいろな「何らかの手段」がありますが、その方法を文章で説明することは難しいものがあります。そのやり方は実際にやってみて感覚で覚えるものだからです。
とりあえず言えることとしては、あらゆる恐れというものは一種の心理的な幻のようなものだということです。また、それを少なくとも心理的なレベルで消滅させることは可能であるということです。
(本サイトで販売している『岬を召喚する瞑想』を応用することでも、このような恐怖を消すインナーワークに使えそうです。つまり、あの瞑想の後半で、何かに恐れている自分、怯えている自分のイメージを目の前に想像し、それに対して愛情を送る、と言ったイメージを想像するようなやり方ですね)
と、とにかくいろいろ方法はありますが、義務感の背後にある何かしらのネガティブな感情や想いを、何かしらの方法で消滅させることにより、義務感を消すことができます。それにより、自由になった精神状態で、もう一度、自問自答してみれば、自分が本当に創作活動をしたいのかしたくないのかが、わかります。
もしかしたら義務感が無くなった状態でなら、創作活動をしたいかもしれません。あるいは義務感が無いならそんなものは完全にまったくしたいとは思わないかもしれません。どちらにせよOKです。したくないことはしない方がいいし、したいことはするといいと思います。とにかく「恐怖を消す」ことで、「したいことをする」という、人生の本来あるべき姿に少しずつ戻っていけるというわけです。
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さて最後にパターン3について考えてみます。
パターン3、それは「本当に創作活動をしたい。だがまずは別の何かをすべきときである」という状態のことです。
この状態にあるとき人は「早く創作活動がしたい」という想いを抱えながらも、なかなかまったく、その活動に手が付かない、という状況に陥ります。この状態にある場合は、おそらく、何か別の「したいこと」についての直感があるはずです。
その「したいこと」は別の仕事かもしれません。別の遊びかもしれません。何かの習い事かもしれません。何か突拍子もない謎の奇妙な活動かもしれません。
とにかく、その「したいこと」を、とりあえず先にやることで、いずれ自分がなしとげたい創作活動についての準備が着々と整っていきます。ですから慌てず騒がず、直感的に感じられる「したいこと」を、手がけるといいでしょう。それによって、回り道のように感じられるかもしれませんが、目的地に最短ルートで近づいていくことができます。
ときどき、創作活動には準備が必要なことがあります。
必要な準備、それは、そのクリエイターが人間として成長することかもしれないし、あるいは何かの新たな経験を積む必要があるということかもしれません。
そのような準備をする必要があるときは、直接、創作活動に手が付かないために、焦りや、何かがうまく行っていない感じや、失敗している気分がして、悲しくなるかもしれません。しかし自分の直感を信じ、目指すゴールにたどり着けることを信じながら、やる必要があると感じられることをひとつずつやっていきましょう。
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上で紹介した三つのパターン以外にも、さまざまなスランプのパターンがあると思います。まただいたい、そういったパターンは、どれか一つ単独で存在するのではなく、ごちゃっと心の中で絡まって複雑なスランプ回路を形成していたりします。
しかし、適切なセルフチェック、セルフモニタリングをし、自分を優しく調整していくことで、絡まったものを解いていくことができます。
そしてやがて、また適切なペースで創作活動を続けられるようになっていきます。