世界イリュージョン仮説というものがある。それはこの世界は一種の幻、あるいは夢のようなものではないかという考えのことである。

少なくとも、意識の状態を変えることによって、この世界の見え方や体験の有様は、大きくダイナミックにシフトする、ということは、意識の状態を変えるなんらかの実験をするによって実際に確かめることができる。

そのような意識状態の変化に伴う世界の見え方の変化に対して、常識的な解釈としては以下のようなものがある。

意識の状態を変えるとは、つまり脳の状態を変えることに他ならないのであり、それによって世界の見え方が変わるとは、アルコールに酔って見える世界と素面で見える世界が違うということに過ぎないのであり、世界は実体として変わらずに存在している、というものだ。

一方で、脳や肉体やそれが存在する基盤である物理法則を含めた全知覚対象が、意識が見ている夢のようなものであり、夢と意識は不可分のものであり、よって意識の変化に応じて知覚対象も変化していくのであるという解釈もある。

この後者の世界観はあらゆる神秘主義の核心をなすものであり、またさまざまなる瞑想やインナーワークやヒーリングや、いわゆる引き寄せなどの、意識の力を使って何かを為そうとする行為の基本的前提となっている。

世界イリュージョン仮説を受け入れることで初めて、各種のヒーリングや引き寄せ的な行為は、理論的な整合性を持ち始める。世界イリュージョン仮説が真実であると感じられない状態では、それら意識の力を用いたワークはただの迷信的な、不合理な行動に感じられるはずだ。

それにしても、このふたつの世界観の間には大きな断絶があり、その間にある亀裂は思ったよりも大きい。

前者の世界観を持っているものが、後者の世界観へと移動しようとするとき、よく起こりがちな反応としては、コズミックホラー的な恐怖や、いわゆる実存的不安のようなものが生じやすい。

そのような恐怖は特に男性に生じやすいのではないかと思う。

なぜなら、前者の世界観から後者の世界観へと移行するとは、あらゆる知覚対象は、意識の見ている束の間のふわふわしたイリュージョンのようなものであるということを受け入れなければならないからである。そしてその知覚対象の中には、当然のことながら、自分の感情や思考回路も含まれる。

通常、人は、自分の感情や思考回路を、自分自身であると認識している。特に多くの理屈っぽい男は、自分の思考回路に絶大の自信を持ち、それを強化し、その強化された思考回路に自分のアイデンティティを同一化するという行為を長年、意識的、無意識的に続けてきた。そのような自分自身=長年大切に強化してきた思考回路が、束の間の幻に過ぎないという恐るべき事実を、後者の世界観は人に突きつける。

そのとき人は、宇宙の底知れぬ深淵の上に自分が立っており、何ひとつ捕まることのできる確かなものが存在していないという恐るべきコズミックホラーと実存的不安に骨の髄までビビらされてしまう。

何だかよくわからない、確かなものが何もない宇宙の中で、自分は今まさに存在していない幽霊のようなものに感じられ始める。

(ちなみに、そのような、前者の世界観から、後者の世界観への移行時における、不安と苦悩が生み出す絶対零度のドラマを描いたのが、拙著『僕のエア』である)

だが長い人生、たまにはコズミックホラーや実存的不安に死ぬほどビビるのもいいことだと思う。それもまた意識にとっては一つの娯楽だろうから。