前回の記事では愛をテーマにした文章を書いた。
どうせ理論的に考えたところで何も得られないテーマだろうからと、雰囲気重視の文章を書いた。
だが一応、これは書いておいた方が『愛』というものを生活の中で扱うにあたって、実用的な役に立つだろうというTipsをいくつか書いておきたい。
- 愛の量が増えたとき、物理的、心理的両側面に何か良い現象が生じる。
- 愛は受け取ることと与えることによって増える。
- 通常の物質は、AさんからBさんへと送り与えることによって、Aさんのもとから無くなってしまう。手元にある米十俵を、年貢としてBさんに差し出したとき、Aさんの手元から米十俵が消えてしまうということである。
- 一方、愛はAさんからBさんへと与えることによって、AさんBさん、その両者のもとで共に増幅する。AさんがBさんに愛を十グラム送り、Bさんがそれを受け取ったとき、愛はBさんのところで十グラム増え、Aさんのもとでも十グラム増える。だから愛は送れば送るほど自他にとって得となる。また愛は受け取れば受け取るほど自他双方の得となる。
- ここでポイントとなるのは、Aさんが愛をBさんに送り、それをBさんが受け取ってくれたときに初めて、両者の中でそれが増えるということである。いくらAさんがBさんに愛を送っても、Bさんにそれを受け取ってもらえないとき、愛の総量は増えない。疲労だけが増える。
- よって自分が愛を送るときは、それを受け取ってもらえる相手に、受け取ってもらえる形で、受け取ってもらえるだけの量を送ることが、愛というエネルギーを無駄にしないために大切である。
- また逆に言えば、自分が誰かから送られた愛を受け取らないとき、やはりその愛は無駄になってしまう。ハートを開いて受け取ることで、それは両者の中で増える。それにより相手にとっても自分にとっても何かいいことが起こる。
- 愛は無色透明な、純粋なエネルギーとして送ることもできれば、もうちょっと人間的な感情が混ざった重ためなエネルギーとして送ることもできる。あるいは何かの目に見える行動や、物質としての形として送ることもできる。だがどのような形を取るにせよ、その本質はハートで感じるエネルギーであり、思考を超えたものである。よってそれを思考によって分析したり、愛が取る形についての善悪を見定めようとしたとき、必然的に愛に関する何かしらのイリュージョン、幻想が生じる。
- 愛を送ったり、受け取ったりするごとに、ハートは開いていく。ハートが開いていくと、そのような器官が実際に胸部に存在しているかのように主観的な感覚として感じられ始める。古来、蓮の花としてイメージされてきたその器官が開くごとに、愛を送受信する能力が高まっていく。それは意識的な訓練によって開き、高めることのできる能力であり、人間が訓練によって得ることのできる能力の中で、もっとも見返りが多いものの一つである。