長々と続いたこのシリーズ、最後の失敗法則は『自他を愛さない』だ。

 様々な賢人の言葉や映画や流行歌を調査した結果、愛、なかでも『無条件の愛』によって、あらゆる問題が解決されることが判明している。我々にとって必要なただ一つのことは、自他を無条件に愛することである。

 逆に考えれば、自他を愛さないとき、必要なことを何一つ為せていないことになる。そのような愛の先延ばしによって、あらゆる問題が立ち上がってくる。

 よって高いクオリティの生活を送るためには、自分と他人を、そして植物と動物を、さらにこの地球と宇宙を愛することが何より大切になってくる。なんでそんなものまで愛するのかというと、愛は無条件なものだからだ。それは人間という条件に縛られるものではない。無条件の愛は、無条件であるがゆえに、時間をも空間をも超えて伝わる性質を持つ。それは内から外へ、あらゆるものへと広がっていく。

 だがそれにしても、愛とは結局のところ、なんなのだろうか。

 まず『愛』とはひとつの漢字であると言える。

 画数が多いので書くのが大変だ。しかし近年では電子機器の発達により、手元のキーを軽く叩くだけで簡単に入力可能である。このように。

 愛。

 愛。

 愛。

 愛。

 しかしこのように簡単に入力可能なものだからといって、むやみにアイを連呼すると、おさるさんがやってきてしまう。あるいは『愛』がゲシュタルト崩壊を起こして、何がなんだかよくわからないものになってしまう。

 このような愛のゲシュタルト崩壊は人間社会においてよく見られる現象であり、ちまたには「愛がなんだかサッパリわからない」という嘆きが木霊している。

 だから我々は愛を理解するために全力を尽くさなければならないし、その上で自他を愛する努力をせねばならないし、その愛の対象をどんどん拡張していかねばならない。自分から他人へ、そしてさらに多くの人々へと。

 その試みが成功したとき、愛のパワーによって奇跡が起こり、諸々の社会的、経済的、心理的問題が解決されるはずだ。しかしそのように愛が内に外に広がっていくことをぐっと抑えて制限してしまったとき、人生には失敗感が忍び寄る。

失敗法則その10.『自他を愛さない』

 他人を愛するためにはまず自分を愛する必要がある。だが佐藤君は自分のことを愛するどころか、日々、全力で攻撃している。そのため佐藤くんの自分を愛する能力は、日々、低下しつつある。

 また自分を愛する能力は、他人を愛する能力でもある。それが低下したとき、人は自他を愛することができず、ただ攻撃するのみの存在になってしまう。

 佐藤君は自分を朝から晩まで攻撃している。そして、そのような自分自身への接し方を、他人にも無意識的に投影している。だから佐藤君は、他人も自分を攻撃してくると無意識的に思い込んでいる。だからわけもなく怖くなって、人と接触することから逃げ出してしまう。

 佐藤君は逃げた自分を恥じ、自分をより強く攻撃する。自分を攻撃するたびに、他人も自分を攻撃するという無意識下での恐怖は強まり、それによってよりいっそう他人が怖くなる。そしてまた逃げる。

 こんな悪循環のサーキットが佐藤くんの心の中に渦巻いている。『自他を愛さない』ことによる問題は様々な形を取るが、佐藤くんの場合は、このようなパターンとして生活の中に現れている。

 この問題の根は、『自他を愛さない』ことにあるのだから、その真逆のことをすることによって問題は解決する。しかし佐藤君はどうしても愛などというチャラチャラした感のあるものより、自分をより一層痛めつける方向性へと舵を取ってしまう。

 それは弱い自分、ダメな自分を、叩いてしつけようとする昭和的行動である。だがそれをすればするほど、世界が怖くなり、自分が弱くなっていってしまう。それなのに、どうしても佐藤君はその悪循環に気づかない。

 この悪循環回路、狭い牢獄から出るためのアイテムは彼の心の中に確かに入っている。だがそこを探そうとせず、佐藤君は厚く固い壁に頭を打ち続けるかのごとき行動を何年も続けてしまう。

 しかし牢獄の壁は、佐藤くん自身の苦痛や恐怖によってできているのである。自分を痛めつければ痛めつけるほど、その壁は厚くなってしまう。

 もしかしたら何かの幸運があって、その牢獄に、外から助けがやってくるかもしれない。それによって一時的に、牢獄の外を垣間見ることができ、解放されたような気分を得る日もあるかもしれない。

 しかし牢獄は心の中にあるのであり、誰かに手を引いて、そこから連れ出してもらうことはどうしてもできない。囚われているものから抜け出すには、自分自身が、そこから抜け出したいと願い、今までとは真逆のことをする必要がある。それによって心の中の牢獄を、優しく溶かす必要がある。

 どうやって溶かせば良いのか? 

 牢獄の厚い壁を溶かす秘密のアイテムを使うことによって、それを為すことができる。そのアイテムの名を愛という。自分を愛し、そして他人を愛することで、壁は溶け去り、自由になることができる。

成功法則その10.『自他を愛する』

 そう……自他を愛することによって何もかもが解決して幸せになる。

 教科書的な理論によれば、そのはずである。

 ハッピーエンドに終わる映画の九割は、愛の力によって問題が解決される。

 闇に堕ちた父への愛によって銀河が救われることもある。

 愛することこそがあらゆる問題への最終回答であることは、もはや人類にとって常識的のように思われる。

 だが長年培ってきた私のシニカルな薄暗い猜疑心が囁く。愛なんてフワフワしたことを頼りにしていたら人間強度が下がってしまうのではないか、と。

「…………」

 本当に愛によって、何か良いことが生じるのだろうか。

 愛することによって、本当に何かいいことが起こるのかどうか、確かめてみる必要があるのではないか。実体験で得た知恵のみが本当に人生を変える力を持つのではないか。

 そのような疑問にかられた私は、愛のパワーの検証作業をする必要性を感じ、自宅の安楽なソファから立ち上がった。

「よし、行ってみるか……」

 そして私は愛のパワーの検証のため街へと繰り出した。2017年、4月15日のことであった。空は快晴であったが、花粉はそんなに飛んでいないようだった。

愛のパワーの検証方法その1.道行く人に親切にしてみる

『愛』のサブカテゴリーとして『親切さ』というものがある。

 この親切さを、そこら辺を歩いている人に対して向けてみることで、どのような効果が生じるのかを、まず最初に検証してみたい。

 その実験のため人通りの多い街へと移動する。自宅を出てバスに乗り、さらに電車に乗って新宿に向かう。そして西口の地下に移動し、そこの柱に寄りかかって虎視眈々とターゲットを探す。

 その日は土曜日であり、目がチカチカするほどに人通りは多い。

 春めいた、というよりもはや夏に近い暑さを感じる新宿を、様々な人種、性別、年齢の人たちが右から左、左から右へと歩いている。そんな中で私は、鷹のように鋭い眼差しを人混みに向け、『親切さ』のターゲットを探した。

 まもなくターゲットとして相応しい一人の人間存在が見つかった。

 その若者は、ふらふらとした足取りで前方に進みながら、手元のスマホを見て、駅の案内表示を見上げ、途方に暮れたような表情でまたスマホを見るという動作を繰り返している。

 典型的な新宿駅ビギナーだ。私はさっと近寄ると親切な声をかけた。

「どこかお探しですか?」

「あ、あのー。東口の方に行きたいんですけど」

「それじゃ案内してあげますね。地上のルートと、地下のルートどっちがいいですか? 地上だと日に当たることができます。今はちょっと暑いかも」

「どっちでもいいです」

「じゃ、このまま地下を通っていきましょう。どこから来たんですか?」

「栃木の宇都宮です」

「へー、そうなんですか。私は仕事で月に二回ほど宇都宮に行きますよ。レモン牛乳は好きですか?」

「飲んだことないです」

「意外ですね。宇都宮の人は毎日あれを飲んでるんだと思ってました。じゃあ餃子は好きですか?」

 そんな話をしているうちにあっという間に東口に到着。ターゲットはこれから友達と会うと言ってアルタ方面に去っていった。

「…………」

 私はさっと回転すると、また地下道を通って西口に戻っていった。

 その途中、真剣な顔をして壁の案内板を見つめている人間存在を発見。私は反射的に親切な声をかけた。

「どこかお探しですか?」

「えっ? あのー、あのー、都営新宿線ってのを探してるんですけど」

「えっ……あれっ? どこだっけそれ」パニックになる私。

 実のところ別に新宿に詳しいわけでもないのだった。

 iPhoneで場所を探そうとするが、タイミング悪く転送量オーバーで通信制限がかかっていた。

 そうこうするうちにターゲットは、「ふふ。ありがとう。案内所に行ってみますね」と言って歩き去っていった。疲れを感じた私はおにぎり屋さんに向かい、おにぎり二個と味噌汁を食した。

愛のパワーの検証方法その2.愛してみる

 遅めの昼食によって血糖値が上がったためか、しばらくすると元気になってきた。私はよりダイレクトな愛のパワーの検証作業のため、電車に乗って渋谷に向かった。新宿以上に密度の高い人の流れが駅前には広がっていた。

 私はおしゃれで楽しそうな人々の隙間を縫って歩き、スクランブル交差点を超えた。そしてセンター街からちょっと脇にそれた道のガードレールに移動し、そこに軽く腰を掛けた。

「…………」

 さきほど新宿では『親切心』という、愛のサブカテゴリーに属するものを用いた実験を行った。

 まあ、人に親切にしてみたら、若干、気分が上向きになったかな。

 そんな気がする。

 さて今回、渋谷では、『愛』そのものを使って自他を愛してみようと思う。

「…………」

 目の前では外資系洋服屋さんの建物が輝いている。ガードレールの右隣では黒人の男たちが楽しげに談笑している。私は目を閉じ、街を歩く人々に無差別に愛を送った。

(愛してる愛してる愛してる……)

 このように字で書くと、ある種の気持ち悪さを感じざるを得ない行為であるが、人間、気持ち悪いぐらいでちょうどいい。

 私は半径五十メートルの空間に存在する全人間に心からの無条件の愛を送った。

(愛してる愛してる愛してる愛してる、マジで愛してる……)

 と、そんなときのことであった。

 しばらくすると何者かが右斜め後方から私に話しかけて来た。

 振り向くと彫りの深い外国人女性三人組がそこにいた。

「あのー、ここに行きたいんですけど」と一番年長の女性がiPhoneを私に見せる。私は

iPhoneを受け取ってディスプレイを覗き込んだ。地図が表示されている。

「ああ……これは109の方ですね。案内しますよ。旅行ですか?」

「私は日本に住んでます。娘たちがインドから日本に遊びに来たんです」

「へー」

 娘が彼氏へのプレゼントを買うというスポーツ用品店まで、私は彼女たちを連れて行った。別れ際に手を振ると、二人の娘はとても素晴らしい笑顔を見せてくれた。

「…………」

 そしてまた私はガードレールの定位置に戻り、再び目を閉じ、心の中で人々に愛を送るという活動を再開した。

(あい、あい、あい、あい……)

 南の島のおさるさんのイメージが私の脳裏をよぎって行ったが、すぐ気を取り直し、もうすっかり暗くなった夜の渋谷の片隅で愛を叫んだ。

 密かに、心の中で。

(あいしーてーるー、あいしーてーるー)

 と、そんなときのことであった。

 しばらくすると左横から何者かが私に声をかけた。若い女性二人がiPhoneを私に差し出している。

 くれるというのだろうか? 私は反射的にiPhoneを受け取った。

 いや……どうやら写真を撮って欲しいらしい。

 私は高校生のころ写真部に加入していた。そのスキルが役立つ時が来たようだ。私は構図に意識を払いながら、彼女たちのかっこいい写真をたくさん撮りまくった。彼女たちは韓国から日本に旅行に来たとのことだった。

「ばいばーい、ありがとう」彼女たちは去って行った。

「…………」

 そしてまた私はガードレールの定位置に戻り、また話しかけてきた別の人と会話したり、人々に心の中で愛を送ったりながら、そろそろ書き上げたい文章、『NHKにようこそ! に学ぶ失敗法則 その10』の内容を考えた。

 内容も大事だが、やっぱり一番大事なのは愛なのかもしれない。

 私は新たなターゲットに向けて愛を送ることにした。私は心の中でそのターゲットを思い浮かべ、見たことのないその人たちに向かって心からの愛を送った。この文章を読んでいるすべての人に。そしてあなたに。心からの愛を。

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