人は歳を追うごとに、何かを失っていく可能性がある。

失われるものは、主に、精神的な特質である。

無邪気さや、屈託のなさや、自分本来の感覚などが、よく失われがちである。

だが、これらはすべて取り戻すことができる。

なぜなら、こういった本質的なものは、何をどうしても本当は失うことができないものだからである。

しかし、それらを、心の奥深くに隠し、一時的にその存在を忘れ去ることは可能だ。

よって、失ったと思われているものを取り戻すには、それらを覆い隠し、目に見えなくさせている心のふたを外す作業をする必要がある。

あたかも、押入の奥深くに置き去りにされ、忘れ去られた、大切な宝物を、押入の大掃除をして見つけ出すがごとくに。

そのような、心のクリーニング作業をして、心のふたを外すことに成功したときには、はっきりとした、肉体的な感覚によって、その作業が成し遂げられたことを認識することができる。

なぜなら、心にふたをして、自分本来の性質を隠すたびに、肉体のどこかが緊張するからである。そして、心のふたを外すごとに、その肉体的な緊張がほどけていくからである。

そのとき、何年、何十年にも及ぶ、インナーマッスルの緊張が解き放たれたそのとき感じる、「解放された」という感覚、「自由になった」という感覚は、きわめて感動的なものである。

そのようにして、失ったものを取り戻すことができたとき、昨日よりも今日の方が、もっと良い自分になっていて、今日よりも明日の自分の方が、もっと自由になっていくということが信じられる。なぜなら失ったものを取り戻したことによって、時間に逆行して自由になっていく自分を、実際に体験し、経験したからである。

そしてまた、世の中も同様に、今日よりも明日、明日よりも明後日の方が、楽しく、美しくなっていくということが信じられる。なぜなら自分と同様に、他の人もまた、日々、生きる喜びを取り戻していくはずであり、そのために、そういった人々が住むこの世界の雰囲気は、日に日に明るくなっていくであろうということが推測できるからである。