2000年代初頭、小田急生田駅から自宅アパートへと続く道を歩きながら、私は、次に書く小説のネタについて考えていた。
「…………」
小説のことを考えながら、ビデオレンタル屋で当時好きだった松田優作のビデオを借り、そしてジョナサン方向へと歩いていく。意識はすぐに小説のことへと向かう。
空は曇っていて今にも雨が振りそうなある日。
そんなある日のそんなあるとき、駐輪場の前あたりで私は、次に書く小説の方向性について、ひとつの閃きを得たのだった。
それは、『全世界にいるに違いない、私のような生活を送っている者を、励ますような小説を書いたらどうか』という閃きだった。
いや、励ますというよりも、どちらかというと、面白がらせるというような言葉の方が正確だろうか?
とにかくこう、抱腹絶倒して笑ってしまい、その結果として元気になる、というような小説を書いたらどうだろう。
私はそんなことを考え、少し足を止めてそのアイデアについて深く考えてみたかもしれない。
そして、その小説を読んで、何かしらの作用で元気になる、世界中の、自分と似たような生活を送っている者の姿を想像したかもしれない。
そうしたら、それを書くためのエネルギーが、心の底から湧いてきたのを感じたかもしれない。
ところで、私のような生活を送っている者とは、どういった者であろうか?
簡単に言えば、毎日、エロ動画あるいはロリ画像をネットで収集してそれでオナニーする生活を送っているような者のことである。物凄く孤独感を抱えているが、なぜかはわからないが、人と接するのがとてつもなく恐ろしく、そのためほぼアパートでひとりでいるような者のことである。
私は決心した。
そういった者が主人公の小説を書くぞ。
そして、そういった者が存在していることを素晴らしい物語にして、そういった者の存在に光を当てるぞ!
私はそう決めた。そしてまた歩き出し、生田の坂道を登ってアパートへと帰った。
その後しばらくしてタイトルも決まった。
正月に実家で紅白歌合戦を見ていてふと閃いたのだ。
『NHKにようこそ!』
正月が終わりアパートに戻った私はその小説の執筆を開始した。
だがそれを書くのはとてつもなく苦しく難しかった。
小説を書くのにこんなに苦労したのは始めてだった。
当時、私は自分の執筆速度には自信があった。
一日に原稿用紙換算で二三十枚なら楽に書けた。
とりあえず何でもいいから書き出せば、文章というものは勝手に形になっていくものだというような自信もあった。
そもそも書くのが好きだった。小学生のころの作文の時間から、書くのはずっと好きだった。それは楽しくエキサイティングな作業だった。
だが、それなのに、『NHKにようこそ!』というタイトルに決めたその作品を、どうしても書き出せない。
とりあえずタイトルは決めたものの、内容が全く思いつかない。そもそも勢いで決めたタイトルが間違っていた気がする。NHKって。そんな。なんのことやら。ふざけるのもいいかげんにしろよ。
私はパソコン画面の前で途方にくれていた。
だがじっとしていても締め切りは刻一刻と迫ってくる。
Boiledeggs Onlineで、その小説を週刊連載すると、エージェントと約束してしまったのだ。
内容がわからなくても書くしかない。
書けばもしかしたら面白い作品ができあがるかもしれない。
書いてみるか。
私は『書いても絶対に面白いものにはならないだろう』という確信を抱えながらキーボードを叩き始めた。
そして苦痛に耐えながら、とりあえずそれらしい文章を一話分、原稿用紙二十枚ぐらい書き上げた。
もうどこにもその文章は残っていないが、確かこんな話だったと思う。
『ひきこもりの俺のところに謎のメールがやってくる。そのメールはNHK、すなわち日本ひきこもり協会という団体から送られてきたメールだった。俺はその団体のところに行く……? すると謎めいた女性が……謎めいたことを俺に告げるのだった……?』
ダメだ。まったく詳しい内容を思い出せない。
なんとなくちょっと文芸路線の、なんとなく謎めいた雰囲気を出してみました的な、まあ愚にもつかない、あやふやな、曖昧な作品だったのではないかと思う。
ありがたいことに、その第一話初稿はめでたく没になった。没になって本当に良かったと思う。
締め切りも一週間、伸ばしてもらった。
次の締め切りまでの、最初の二日間、私は締め切りが伸びた安心感からリラックスして、ひたすら長時間の睡眠を取り、その後、習慣となっているネットでの何か性的な動画や画像などを集めるという行為をしたのではないかと思う。
そして三日目ぐらいになってからまた追い詰められた気分で私は「NHKにようこそ!」第一話を考える作業を再開した。だがこの作品には何をどう考えても解決できない問題があった。
問題、それは以下のようなことだ。
私は当時、執筆のフレームワークとして、『ベストセラー小説の書き方』を採用していた。
なぜなら私はなんとしてもベストセラーを書くつもりであり、また読者に活力や喜びや勇気をもたらす作品を書こうと願っていたからだ。そういったものを読者に与える作品でなければこの世に存在する意味はないと、『ベストセラー小説の書き方』に書かれていた。
それは本当にその通りだと今でも思うし、当時の私は今の私よりも厳密に、『ベストセラー小説の書き方』に書かれていたベストセラーを書くための作法を厳守しようとしていた。
だから、その本に書かれていた、ベストセラーを書くための、いくつかのポイントは絶対に外すことができない。
当時の私はそう思っていた。
そのいくつかのポイントの中でも最大のものは『主人公は英雄であるべきであり、読者の感情移入を誘う魅力を持っているべきだ』という決まりである。
そう、そのポイントは、面白いストーリーを書くにあたり、絶対に外すことは出来ない。
だが主人公はひきこもりなのである。
何をどうしたらひきこもりの主人公を英雄にできるというのか。
何をどうしたらひきこもりの主人公に魅力を与えることができるというのか。
これははっきり言って難題中の難題であり、この難題を私がどのように解いたのか、その手順を論理的に説明すること難しい。
ただひとつ言えるのは、もうとにかく死ぬほど考えたということだ。
人間の脳がそれほどまでに何かを考えることができるのかというぐらい考えたということだ。
私は耳から煙がでるぐらい考えた。
ひきこもりがテーマの小説の主人公を英雄にし、魅力的な存在にする方法について。
死ぬほど、考えた。
だがそれは繰り返すが、とてつもなく難しい問題であった。
なぜならその主人公はひきこもりなだけでなく、ロリ画像を集めてオナニーをする存在でもであったからである。主人公がロリコンになってロリ画像収集をする。そのポイントだけは絶対に外せない。なぜなら私はロリ画像を集めてオナニーしているような全世界の者を元気づけ勇気づけたかったからである。と同時にそこら辺のポイントに、何かこう、私が書かねばならない、書かなくてはいけない何かが眠っているように感じたからである。
だから主人公は絶対にロリコンになりロリ画像を収集する。
だがやはり同時に主人公は英雄であり魅力的であり、読者の感情移入を誘う存在である必要がある。
この二つの矛盾する作劇上の要請をどのようにして私が解決したのか、それを論理的に説明することはできない。
ひとつ言えるのはとにかく脳が焼けて溶けるほど死ぬほど考えたということだ。
あの凄まじく汚いアパートで私は死ぬほど考えていた。
そしてある瞬間に、ついに、脳に限界が訪れた。
も、もうこれ以上考えられない。
もう無理だ。
もうダメだ。
締め切りも近づいてくる。
私は疲労とストレスの限界であの汚い布団に包まって横になった。
そのときだった。
過労でもうダメな状態になっていた私の脳が一瞬の活動停止状態に陥り、心に空白が訪れたその瞬間である。
そのときふいに、私の心の中にひとつのヴィジョンが訪れたのだった。
それは、二人の男が、小学校の校門の前でカメラを構えて、小学生を盗撮しようとしているヴィジョンだった。
私は疲れ果てたフラットな気持ちでそのヴィジョンを追っていった。
すると、そのヴィジョンの中、一人の男が、カメラを構えながら、もう一人の男に向かって、テンポの良い言葉を発しているのに気づいた。
私は彼の言葉に耳を済ませた。
彼の言葉、そのテンポ、そのノリは、どこかで聴いた覚えがあった。
なんだったっけな。
あぁ……アレか。
この前、ビデオを借りて見た、松田優作の『野獣死すべし』の、クライマックスシーンか……。
松田優作が野獣死すべしの中で一眼レフを構えながら、ベトナムでの凄まじい体験のことを、気が触れたような、しかしその実、まったく気が触れていない、気が触れたようなフリをすることしかできない哀れさを醸し出しながら、相棒の男にわめいている。
それに似たテンポで、私の心の中のヴィジョンの男は、デジカメを小学校校門に向かって構えながら、背後の相方の男に、何か自分の苦しさや悲しさについてリズミカルに、ダイナミックに吐露している。
そんな彼の様子は悲しく、そしておかしく、そしてなにより、格好いいと私には感じられた。英雄的だと感じられた。
ついに求めていたアイデアが到来したのだった。
汚い布団の中で私の精神能力はふいに全開になりそのヴィジョンをより深く追い求め始めた。
そしてそのシーンを何度も何度も心の中で再生していった。
そのアイデアの中には作品の持つエネルギーがすべて含まれていた。そのアイデア、そのヴィジョンを心の中で追い、反芻することで、すぐに私は山崎と佐藤の会話の掛け合いのノリやテンポや、口調について理解することが出来た。
そのノリやテンポは非常にしっくり来るもので、それを心の中で反芻するうちに、作品の全体構造や、基本的な文体や、場面転換のリズムも、なんとなくつかめてきたように感じた。
何もないように見える透明な水溶液の中に、ある瞬間、小さな結晶が生まれ、そのごく小さな核を中心として瞬く間に大きく美しく複雑な結晶が育っていくように、急速に私の心の中で「NHKにようこそ!」が形を取り始めていった。
締め切り前日、私はあの汚いこたつの上に載っているタバコで黄色くなったディスプレイに向き合い、QXエディタを起動しキーボードを叩き始めた。書き始めるとそれまでの停滞が嘘のように文章が湧いてきた。完全に決まっているスタイルが、最初からそこに用意されていたかのように沸き上がってきた。
数十時間後に第一話が完成した。今度はボツになることはなく、それはつつがなくBoiledeggs Onlineに掲載された。
(もしかしたら続くかも)