This article was translated into Italian and English.


 

私は十年以上も前に「NHKにようこそ!」という小説を書いた。これは作者である私にとって呪いの小説のようなものであり、私は最近までこの呪縛に苦しめられていた。

あれを書いて以後ずっと、私は挫折感に苦しめられてきた。

なんでまた、頑張ってせっかく書いた小説に苦しめられるなんてことになるのかと言えば、理由はいろいろある。

一つ大きな原因として、作者の私が、思いっきり、ストーリーを途中でごまかしてしまった、そのため書きたかったことを書けなかったということがあげられる。

その失敗感、挫折感から、私は長年抜け出せずにいた。

NHK9章で主人公は、自分が寂しさを感じて苦しんでいるということを自覚する。これはとても貴重な自覚である。主人公はこれまでずっと、自分のそのような繊細さを見るまいと頑張ってきた。しかしその心の壁が一瞬外れたとき、彼はついに寂しさを自覚する。

なのに次の章では、その寂しさの件が完全に忘れられたようなストーリーが始まる。

問題は主人公の寂しさであるはずなのに、他人の問題へと主人公は首をつっこむ。岬の話に首をつっこむ。

それは、寂しい、という自分の問題からの逃避である。

そしてそれはまた、寂しさという問題を直接書くことを避けた、作者の逃げでもある。
私は「走るメソッド」を使って、とりあえずストーリーをそれらしい感じで終わらせることに成功した。

走るメソッドとは、感情的な切迫感を伴わせながらキャラクターを走らせるとこで、なんとなくクライマックス感を高めることができるという作劇上のテクニックの一つである。

最終章で、主人公は、走ったり、口論したり、ちょっとしたアクションをすることで、感情上のカタルシスを得た。そして物語は終わった。

しかし寂しさという問題は何も解決しなかった。なぜならそれは何も書かれなかったからである。

だが当時の私に寂しさ問題を書ききる能力は無かった。それもまた確かなことである。だからあの終わり方はあれで最善だったのだろうとも思う。

死ぬ死なないという、岬と佐藤のどうでもいいドラマも、実はあれこそがリアルという感じがする。現実的という意味でリアルである。

だが私は決して現実的な話など書くつもりでは無かったのだ。面白くてワクワクして夢と希望がある話を書きたかったのだ。

どうかなー。
もっと頑張れば書けたかなー。
無理かなー。

やっぱあれはあれでよかったのかなー。

などといまだに悩む。

ただ、小説の上ではつかなかった決着を、この三次元物理空間上では、つけられることが最近ではわかってきた。

つまり、NHK終盤の佐藤に対して、こうすれば助かるよというアドバイスを私は持っているということである。

まずひとつめのアドバイスとしては、瞑想せよということである。瞑想によって、自分を癒し、また、自分の世界を持つ強さを得るのだ。

ふたつめのアドバイスとしては、オナ禁せよということだ。

三つめのアドバイスとしては、自分の欠乏感を埋めるための直接的行動をせよということだ。寂しさが問題であれば寂しくなくなるための行動をせよということだ。

しかし寂しくない状態、つまり満たされている状態とは、なんであろうか。それは結局のところ、心のひとつの状態ではないだろうか。

そう、それは心の状態である。
もし満たされた精神状態を、自力で作る能力を得ることができたなら、それによって佐藤の葛藤は完全に解決される。

だがそれはおそらく、瞑想だけでは到達できないだろう。

何かしらの直接的な、寂しさを埋めるためのアクション、たとえばナンパの実践のようなものによって、瞑想は補完される必要があるだろう。

その場合、いきなり人に声をかけるのは無理だろうから、まずは顔を上げて外を歩く練習から始める必要があるだろう。おそらく佐藤が街で知らない人に声をかけるまでには四、五年の準備的な練習が必要になるだろう。

だがゆっくりとでも自分の進歩を感じられる何かをすること、たとえば、毎日、外に出るとか、顔を上げて歩くとか、そういう小さな、だが実践可能なワークを続けることで、人は自分の進歩を知ることができる。それはまたとない自信になる。自分は変われるという自信、これは何より大切な自信だ。

とか、いろいろ、時と場合に応じて、いろいろすべきことがあるけれど、ひとつひとつの具体的な細々とした手段、方法はあまり問題ではない。

とにかくNHKの主人公が完全に満足する道筋が存在している。大事なのは、そのような希望が確かに存在しているということだ。

だが、佐藤がその希望の確信を得る物語を、物語として書き切るには、あと五巻ぐらいのストーリーが必要だ。それをあの当時の私が、全部書くのはたぶん無理だった。そのうちの一巻に相当する部分を書けたということでいいんじゃないか。

そう!
物語というものは、何も一気に完全解決に向かわなくてもいいのだ!

途中で脇道に逸れてもいいのだ。
人生と同じように。

だから、あの話はあれでよかったのかもしれない。
むしろ最善の終わり方ができた。現実的でありながら、未来の発展の余地が感じられるラストだ。

だからあの話はあれでよかったのだ。

ただひとつ、どうしても作品内で言いたいこと、書きたかったけど書けなかったことがあり、それは、もし、人が「NHKにようこそ!」のような状態に陥っても、必ずそこから抜け出る道があるということだ。
完全なハッピーエンドに至る道があるということだ。

あの本で私が書きたくて書けなかったことがあるとすればこのことだ。

だからいまこの場で書いておく。
佐藤も岬も山崎も先輩もハッピーエンドにたどり着く。きっともうたどり着いているだろう。だからすでに新たな世界が始まっているはずだ。

私が書きたかったのは人間の弱さではない。こんがらがった心の迷宮にとらわれ、どれほどエネルギーを失って弱くなった人間でも、必ずそこから抜け出せる、そして自分を取り戻せる。私はそのことを書きたかったのだ。

作中で書けなかったこの確信をここに書くことで、私の中の「NHKにようこそ!」をいまここで完! とする。

 

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