創作力を伸ばす方法の一つとして、『他人の作品の良い所を見つける癖をつける』というのがある。

目に映るすべての他人の作品の良い所を見つけるよう意識して生活すると、自然と自分の作品についても良い所を見つけられるようになる。

これは逆に言えば、他人の作品の悪いと感じられるところをスルーする能力を身につけるということである。

他人の作品の悪いところを見つける癖を身につけてしまうと、自然と、自分の作品についても同じことをやってしまう。そうすると作品の中で悪いと感じられるところが増殖していく。その結果、最悪、あなたは作品の完成を断念してしまうだろう。あるいは、自己否定的な雰囲気が充満する作品を作ってしまうだろう。あるいは、ビクビクしてビビってしまい、本来のポテンシャルを発揮した創作ができなくなってしまうだろう。

『悪いとこを見つける』、というのは、創作という領域にかぎらず、ありとあらゆることにおいて、はっきり言って、死ぬほど簡単な、条件反射的な行為であって、それはまったくクリエイティブな行為ではない。

どうしても『よくないものである』と感じられるものはスルーして、良いと感じられるものをどんどん見つけ、その良さを吸収していけば、自分の中にその良さがどんどん増えていく。そしてそれを表現できるようになる。

逆に、『よくないもの』と感じられるものに意識を集中し、その『よくなさ』についてあれこれ考えたり、『よくなさ』を感じれば感じるほどに、それは心の中に吸収され、自分の中で増殖していく。

なんであれ、自分の中に増やしたいものについて、意識の焦点をあわせるべきだ。だから、もし自分の創作物の中に『良さ』を増やしたいのであれば、他人の創作物を見るときも、『良さ』に焦点を当てて鑑賞するべきである。

『ダメな人のダメな部分を見て、自分はそんな風にやらないようにしよう』なんて考えはもってのほかだ! 

それは逆効果でしかない。他人のダメな部分を探し、それを否定すればするほど、同じ『ダメな部分』が自分の心の奥で増殖していく。それはつまり、他人のダメな部分を自分の中に吸収する行為でしかないのである。

この問題は実は相当、人類の中で根が深い問題である。

『パンクロッカー問題』とも通じるところがある。

パンクロッカー問題とは、何か?

それは、『パンクロッカーは世界を否定するが、否定によって生まれたスタイルは、否定されたものの裏返しに過ぎず、それはつまり否定されたものと表裏一体のものであって、つまりパンクロッカーは世界を否定しつつも、自分が否定している世界と実は一心同体なのである』という問題である。

このパターンは世界の至る所に散見される。

Aを否定する人間は、否定されるAと全く同じ雰囲気を醸し出している。

何かを嫌悪する人は、その嫌悪されている何かと同じ雰囲気を醸し出している。

何かを否定すればするほど、その何かと自分が似たようなものになってしまう。

否定によって、嫌いなものから離れることはできない。

そうではなくて、ただ、欲しい物を、直接的に求めるのだ。『良さ』を直接的に求めることによって、良さを自分の中に増やしていくことができる。

だから、何かを得たいなら、自分が得たいものは何なのかを熟考する必要がある。そしてその感覚をつかむ必要がある。

自分が表現したいものは何なのかを熟考する必要がある。そしてその感覚をつかむ必要がある。

もし自分の中に、『何かが嫌いだ! 何かは嫌だ!』という、何かを否定しようとする想いしかみつからなかった場合は、その何かの反対物は何なのかを考えることで、自分にとって良いクオリティを持った何かを見つけることができる。

たとえば、『つまらなさ』というクオリティが嫌いだとする。

そのとき、『つまらなさ』の逆は何かを考えることで、『ワクワク感』などという良いクオリティを見つけることができる。そしたらもう『つまらなさ』という自分が嫌いなクオリティのことは忘れ、自分が求めている良いもの、この場合は『ワクワク感』の感覚に焦点を当てることで、それを自分の中で増やしていくことができる。

ダメなものを否定して、良い物を手に入れることはできない。良い物を直接探し求めることで、良い物を手に入れることができる。

何か汚い物質Xがあるとする。そのXをいくら否定し、攻撃しても、美しい物質Zを手に入れることはできないということだ。

美しい物質Zを手に入れるには、それを直接求め、それを直接探し、それに直接手を伸ばして手に入れる必要がある。

その時、美しい物質Zを求める者の頭の中には、汚い物質Xのことなんて、微塵も存在していないのだ。

美しい物質Zを求めるものは、Zに完全に意識を集中しているのだ。

だからこそZが手に入るのである。