創作活動をすることによって、その人の個人的な悩みは、解決しない。 創作活動と、個人的な悩みや苦悩の解決の間には、ほぼ何の関係もない。 なぜなら、創作活動とは、何か新しいものを作り出すことである。一方、悩みや苦悩とは、必ず過去に原因があることであり、過去の何かの精神的、感情的な苦痛が現在においてループしているものであり、それは新しさとは無縁の領域に属するものだからである。

新しい何かを作るには、新しい何かをつくろうと思って事にあたる必要がある。そうすれば新しい何かが生じる。

過去の何かを解決しようとするには、過去の何かを解決しようと思って、過去を振り返り、そこにまだ認識できていない何かを認識する必要がある。

過去を振り返ることで「まだ認識していない何かが認識される」とき、それは一見、新しいものが生じることに似ているため、そのとき新たな創作が行われていると解釈することもできるが、実はそれは過去に認識すべきだったのに認識するのを拒否していたことを今になって認識しただけでのことあり、それによって何か新たなものが作られたとは言いがたい。それによって癒やしは生じるであろうが。

創作と悩み。 その二つの間に何かの関係があるとすれば、人が悩んでいる姿や苦悩している姿を、創作のネタ、つまり彫刻であれば粘土のようなもの、絵であれば絵の具のようなものとして使うことができるということだけだ。

しかしそのような、悩みをネタとして使うためには、その悩みを客観視できるまで、悩みと距離を取る必要がある。それは、悩みに完全に巻き込まれているうちは不可能である。

悩みが大きくなればなるほど、意識は過去に向かい、過去から生じている思考パターンを繰り返し、そこに囚われるようになる。そうなると創作活動という、心を自由にして、まだこの世に存在していないものを存在させようとする作業を効率よく行うことは難しくなる。

だから、すべての創作活動に従事するものは、自分の心の悩みを、完全に解決することを目指さなくてはならない。

自分のポテンシャルを完全に発揮した創作をし、それによってこの世に何か良い物を与えようとするものは、自分の心の悩みを、何がなんでも絶対に百パーセント解決する決意をしなければならない。

そして悩みは解決されうることを信じ、一切の妥協無く、自分が悩んでいること、苦痛に感じていることを、癒やし、解決することに全力を注がなくてはならない。

その作業は創作活動には直接、関係ないことである。 しかしいわばそれは、作業場の掃除のようなものという意味において、必要なことである。

そしてそれは、作業場を掃除するがごとき、簡単な作業でもある。 たとえそれがどれほどに苦しい、忌まわしい悩みであろうとも。 どれほどにこんがらがった、原理的に解決不能に思える、修復不可能な、取り返しの付かないことに由来する苦悩に思えようとも。

悩みを解決する、自分を癒やす、そして物事と自分と他人の、今はまだわからない真実を理解するという強い意志の前には、どのような悩みも立ちふさがり続けることはできない。

一度、作業所を掃除するという決意が生じたら、その決意を阻めるものはこの世に何も存在しておらず、少しずつゴミ袋は収集されてゆき、必然的に作業所は徐々に綺麗になってゆき、ある日ついに窓は開き、日と風は差し込み始める。

そして新たなる創作の時間が幕を開けるのである。