昨日の記事で『私は昔はスピリチュアルな話題を取り扱っている本は嫌いだった』という内容のことを私は書いたが、それは正確な事実ではない。
二十代の始めごろにはケン・ウィルバーという思想家の本に大きな影響を受けた。
ケン・ウィルバーの本自体は一種の『地図』のようなものである。それには通常の人間社会からスピリチュアルな世界まで、個人の心の中から社会の構造まで、ありとあらゆる領域に渡って詳細に描かれた地図であり、しかもそれはフラットなデータだけの地図ではなく、『意味』や『意識』に関する地図でもあった。意味には、意識には『深さ』、あるいは『高さ』があることがその地図には示されていた。
意識を高めていくこと、深い意味を追い求めていくこと、限界を超えること! これは、そのために、何をどうしたらいいのか、どちらに深さがあり、どちらに高みがあるのかを教えてくれる地図だった。
だが地図を読むことは、旅を始めることにはならない。それは数年後に実際に自分の足で歩き始める領域についての詳しい地図としてとても有用なものであった。問題があったとすれば、私はその地図を読むことで、実際に旅行しているつもりになったまま、何年間も旅立たずに同じ地点でうろうろしていたという点だろう。
そんなことをするのは私だけかもしれない。いや、きっと大勢の人に似た傾向があるはずだ。本か何かで知識を得ることで、何かの変化が自分に生じたつもりになったり、何かを理解したつもりになったりするという哀れな傾向が。
哀れ、ついそう書いてしまった。だがしかし、あの時代の私の生活、それはそれで何かの役に立ったはずだ。腐るほど本を読み情報を取り入れることで、『これでは何も変化が生じない』という気づき、あるいは諦めを得ることが出来るようになったはずだ。大量の情報を取り入れ、自分の思考回路を複雑化させ、重くさせたことは、その重苦しい檻の不快さに自分がもう耐えられなくなるという結果をもたらした。それによって、この檻から出ようという決意が生まれ、思考回路と自分との同一化に終焉がもたらされたのだ。過去は何一つ無駄ではない。
ということで話は戻る。ケン・ウィルバーの本はスピリチュアルな領域に関する地図であるが、スピリチュアルな行為そのものではなかった。そもそもそう意図されている本ではない。ちなみに読むことそれ自体がスピリチュアルな行為であるという本は、実は多数、存在している。そういった本は一種のスピリチュアルなエネルギーを持ち、それを読むことでそのエネルギーと自分が同調を始める。そしてその結果として、自分に不可逆的な変化が生じる。
そういった本を私は長い間、無意識的に忌避していた。ケン・ウィルバーの本のような、スピリチュアルな物事に関する客観的な知識を得るための本であればいくらでも読めたのだが、その内部を実際に体験するための本は、どうしても手に取ることができなかった。今思い返せば、まるで世界に壁があり、その透明な壁に阻まれ、真の変化のためのエネルギーと自分が隔てられているようだった。とても沢山の本を浴びるように読んでいたが、どうしても、本当に自分を変える本には辿り着くことができなかった。
それはなぜかというと、自分でブレーキをかけていたのだろう。自分で、ここから先に入ってはいけないというバリアーを自分の世界に張っていたのだろう。なぜ自分でブレーキをかけていたか、進入禁止のバリアーを張っていたのかというと、それはもちろん本当の変化を経験したくなかったのだろう。
なぜ変化したくなかったのかというと、それは当然、恐れていたのだろう。今まで生きてきた世界を構築していた幻想を手放すとともに、幻想の自己像を手放し、お馴染みの、心安らぐ苦痛を手放すことを恐れていたのだろう。
いろいろなことを恐れながら、私は二十代の初めから後半まで、とてもとても沢山の本を読み、沢山の理論について詳しくなっていった。
様々な人々が、様々なことについて、理論を語っていた。
Xをするための理論。
Yをするための理論。Zをするための理論。
これらの理論をすべて覚えこめば、自分はどんなことでも上手にやれるようになると思っていた。
それは、パソコンに、沢山のアプリケーションをインストールすれば、どんなことでもできる、最強のパソコンになるはずだという考えに似ていた。
しかし、そのパソコンのOSはバグっており、しかも、インターネットに未接続だった。
そのパソコンに必要なのは、新たなアプリケーションを店で買ってきてはインストールしまくることではなかった。そんなことをしても動作が遅くなり、より不安定になっていくだけだったのだ。
そのパソコンに必要なのは、むしろ、無駄なアプリケーションのアンインストールであったり、デフラグであったり、OSのアップデートであったり、あるいはOSの完全なる取り換えだった。そしてそのようにクリーンにしたのちに、インターネットに接続することだった。
だがそのような抜本的な改革をすることなく、私は2007年ぐらいまで、何かがおかしい、何かが完全に狂っている、努力すればするほど何か間違った方向に進んでいくようである、というか人生が日に日に地獄めいていくという感覚を得ながら、しかしその生活の中から抜け出すことができないまま、それはそれで頑張って暮らしていた。
自我の超越、すなわち、トランスパーソナルな方向性にこそ、その地獄めいた生活からの脱出口があるはずだという確信のような予感を持ちながらも、そのための行動を実際に始めることは無意識下の恐れによってできずにいた。私にできたのはただ、そちらの方向に出口があるよ、と書かれた地図を大量摂取し続けることだけだった。
大きな転機のきっかけが訪れるのは、2006年の大晦日の事だった。
私は北海道の実家でK-1グランプリを見ていた。