先の記事によって私が何の説明もなく使っていた『エゴ』という単語は何を意味しているのであろうか?

それはネット上によく転がっている記事『これこれをするための10の方法』のような思考プログラムが十万個ほど集合し、それにさらに不安や恐怖や欠乏感などといった各種の感情や、各種の肉体感覚が、複雑怪奇に絡み合って構成されている構造体である。

この構造体にはいくつかの機能がある。

・意識をその構造体に一体化させ、『この構造体こそが自分のすべてである』というアイデンティティを意識に与えるという機能。(もちろんそのアイデンティティは間違っており、間違っているがために、ありとあらゆる問題を生じさせる。この、意識による間違った自己規定こそが、仏教においては『無明』という言葉によって指し示されているものである)

・構造体の自己修復機能。意識を捕らえる檻としての機能が緩まるような綻びが構造体に生じても、即座にその穴を埋め、より構造体を複雑化させ、強化する機能。

・意識を構造体から解放しようとする高次元エネルギーへの防御機能。例えば、いわゆる『魂の衝動』や、『ワクワクすること』に対して、『それをすることは大変な問題を人生に生じさせる』などというもっともらしい思いを意識に抱かせ、意識を解放するエネルギーの流れを、意識に対して遮断する機能。

・集団で結合し、集団的な高次元エネルギーへの防御膜のようなものを、社会通念や集合意識の中に構築する機能。この高次元エネルギーへの防御膜こそが、いわゆる『マーヤー』や、『グラマー』『イリュージョン』などという用語によって表されているものである。その高次エネルギーへの防御膜の強さと範囲が、集団としての人の意識が到達できる限界点、すなわち『超えられざる環』の範囲を規定している。個人はいつでもこの環を、その気になれば独力で超えることができる。超えられざる環を超えた個人は、集団としての人類の周囲に垂れ下がり、光を遮っているその防御膜を、外と内から破壊していくという仕事を始めることになる。

 

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