三次元を超え、意識を四次元、五次元へと拡張していくために必須のスキルと言えるものの一つに「許し」というものがある。
これはあらゆるメンタルスキルの中で最上級に重要なものである。
許しを行うことで浄化がなされ、奇跡が生じる。
許しの対象は多岐にわたる。それは自分が許していないもの、すなわちその対象を何らかのレベルにおいて悪と認識しているものすべてを対象とする。許されざる悪、それは外の世界にあり、自分の内にある。
そのような、自分が今現在、許していないものを真に許すとき、自分の思考、感情、感覚のすべてに永続的かつ不可逆的な変化が生じる。
その変化は常に良いものであり、その変化によって自分に、そして周囲の世界に癒しの奇跡が生じる。
だが許しとは、それ自体が超次元的な意識の介入を必要とする作業である。
なぜなら許せないもの、すなわち悪とは、物事が二極に分離しがちなこの三次元にほとんど必然的に存在するものである。そのようなほとんど必然的なものを、悪ではない、何か別のもの、罪のない許された無垢なものとして知覚するのには、三次元を超えた、超次元的な視野が必要となる。
よって、許しを行うときの具体的な作業工程は以下のようなものになる。
- 自分の中にある超次元的意識につながる。自分の中でつながることのできる超次元的意識ソースとは以下のようなものである。好きなものを選ぶ。
- 高位我/ハイヤーセルフ
- 魂/ソウル
- マスター
- ガイド
- 天使
- 口頭で、あるいは心の中で次のような言葉を唱える。「私は今、X(許したい対象)を許し、Xを新たな目で見ることができるようになるために、Y(1の工程でつながることを選択した超意識主体)とつながります。Yよ、私がXを許せるようにしてください」
- Yとつながった意識状態を想像し、その意識状態を維持したまま、Xを心の中で眺める。
- Xに対するネガティブな感覚が消滅し、Xに対する新たな認識が生じるまで、3の工程を続ける。
簡単に書いたが、これは私的には凄まじくハードな作業である。いまだに「許し」には常に新鮮なハードさが伴う。なぜなら「許し」とは自分の思考、感情、感覚がそれを悪として認識し、許すべからざるものとして認識しているものに対する固定化した認識を、深いレベルで変容する行為だからである。
それは自分というOSをカーネルレベルで書き換えることに等しい。それは自分の世界でこれまで普遍のものだった土台を掘り返す作業に等しい。
だが許しはどうしても、やらなければいけない、もしも人が超次元意識を欲するのであれば。もしも人がアセンションを目指すのであれば。
なぜなら超次元意識とは、左右、善悪、過去未来、生死といった三次元性を超越した意識である。そして、人の意識を三次元性に縛り付ける、もっとも重い錨は、「許していないものへの憎しみ」である。
その錨を外すためには許しという作業を行う必要がある。
許しによって自分の心を重くしている錨が外れたとき、心は軽くなり、新たな自由度を獲得し、心は高みへと浮上して、人は新たな視野を得る。そして新鮮な人生の意味を知る。それを何度も繰り返して、心は高みへと上昇し、いつしか人は超次元意識を獲得するのだ。