アセンションするぞ! などと考えて、自分の意識の限界を超えることによって、実際にアセンションすることができる。

しかし意識が三次元の現実を超えて四次元、五次元へと上昇、アセンションしたとしても、肉体は依然として三次元の中にある。同様に、思考と感情もまた、その周波数の大半が三次元的なレベルに留まっている。

よって、人がアセンションを試み、それによって実際に意識の一部が三次元を超越したとき、人の構成要素は三次元と超次元に縦に引き伸ばされることになる。それは往々にして、日常生活における苦痛、不具合、葛藤を生み出しがちである。

意識は無限の自由を知っているのに、肉体はこの不自由極まりない三次元に縛り付けられている。同様に、自分の思考と感情もまた自分の思い通りにはならず、いつも通りの固定観念とあまりに人間的な感情パターンの繰り返しの中に捉えられている。

自分の本質は自由であることを知っているのに、自分の肉体と感情と思考はまったく全然、自由にならない。そしてそれを取り囲む三次元的環境も、やはり自分の思い通りにはならない、ままならないものとして目の前にある。

このような状況で現代人に求められるのはバランス感覚である。

超越志向と日常生活の間にバランスを取ることが求められる。

とは言えバランス、それは「何事もほどほどに」というような消極的態度で得られるものではない。

バランスとは高いエネルギーによって低いエネルギーに積極的に調和をもたらすことによって得られる。

 

つまり、意識はどこまでも遥か高みへの超越を目指し、その超次元的意識空間に充満している高次元のエネルギーを、この三次元領域へとダウンロードすることによって、前後左右、苦楽、生死、過去未来といった両極へと分極しがちな三次元に高次元のバランスを生み出すことができる。

それは高次元的リアリティ、天のリアリティを、この三次元、この地に呼び下ろすということである。

そのためには意識は無限の高みを目指していくべきであり、そのために日々、自分の限界を超越していかねばならない。そして日々、心の奥、心の高みにある美しいものに触れ、それを日常生活の中に表現していかなければならない。

内なる高みで超次元的美に触れ、それを生活の中に表現するとき、日常の中にバランスが生み出されるのだ。

BessiによるPixabayからの画像