何をするにしても安心感があるかどうかが、その行動がプラスの結果をもたらすかどうかのバロメータとなる。
焦りから生じた行動は焦りを生み出すし、何かしらの固定観念や欠乏感に裏打ちされた行動は、その欠乏感を深め、固定観念をより強固に増幅する結果をもたらす。
一方、安心感によってサポートされた行動は、さらなる安心感をその状況に生み出す。よって、一定以上の安心感が深められた行動領域では、安心感は延々と高まり、深まっていくことになる。
そのようなプラスのフィードバックが働く領域が生活の中にひとつでもあれば、そこを中心として安心感を他の様々な領域へと広げていくことができる。
そのような安心感をジェネレートするためのフィールドの構築と保持こそが、いわゆる「趣味」というもののひとつの役割と言える。このことは、「趣味を仕事にするときついぞ」と言う、訳知り顔の人がよく言いそうなセリフの根拠でもある。
それを仕事にするまでは自分に安心感を提供してくれていた趣味のフィールドが、もはや安心感を深める場として機能せず、むしろ焦りや恐怖を生み出す地獄的フィールドに化してしまったとき、生活の中からは急速に安心感が失われ、その代わりにギザギザしたノコギリの歯のようなざらついたフィーリングが生活の中に広がっていくことになる。
といっても趣味を仕事にすると確実にそのような展開が待っているわけではない。その趣味が生み出す安心感のフィールドの強度が十分に高い場合は、それによって生き馬の目を抜くような仕事の中にまでも安心感を広げていくことは可能である。
安心感の強度を高めるためには、行動のプロセスにおいて、安心感を高め維持するという意図を持ち続けることが役立つと思われる。そのような意図を行動の中に保とうとする試みが、マインドフルネスというものだ。