あまり射幸心を煽るようなことは書きたくない。

本ブログは、意識を高く高く、超次元まで高めようとする、マジでシリアスな意識高い求道者のためのものである。

これをするだけで、X(欲望の対象)が手に入った! などといううまい話はこの世にはないのだ。

しかし現実問題として、瞑想をしたら彼女が得られた、しかもとてつもなく素晴らしい彼女が得られたという体験が私にはある。しかも一度だけではない。意外にもこの世にはうまい話が溢れているようである。

このような夢のある話、公共的な意義のある話を自分一人の心の中に留めておくのは、もはや謙虚さや慎み深さの表れというよりも、悪い意味での秘密主義やケチくささと呼ばれるべきものであろう。というわけで瞑想したら彼女ができたという体験談を軽く書いてみたい。

ある夜のこと、確か奇跡のコースを真面目にやりまくっているころ、私はかつて生きた中で二番目に狭い部屋に暮らしていた。(一番目は高一の時の下宿の部屋だ。その部屋は押入れが部屋の中にせり出しているという斬新な作りの部屋だった)

同じアパートの近くの部屋からは、毎夜、ドガーンという爆裂音とともに、「うわー!」という奇声が響いてくる。かなりハードコアな環境に私は暮らしていた。
二千年代後半のことである。

そんな中、私は凄まじくシリアスに奇跡のコースのワークを頑張ってやっていた。

その本には神がすべての源であり、それがすべてあなたの欲しいものを、なんでもタダで与えてくれると書かれていた。

だが無意識下の、世界への恨みがあるために、欲しいものがなかなか手に入らない、苦しい現実が現象化されるというような趣旨のことが書かれていた。

ばんばん奇跡を起こして、欲しいものをなんでもゲットするためには、まずは無意識化に闇のヘドロのように堆積している、怒りや恨みや憎しみを、許しによって浄化する必要があると書かれていた。

私は瞑想して、心をどんどん浄化していった。

もうたくさん瞑想したから、あらかた私の心の中は綺麗になったかな、と私は思っていた。部屋は狭いし、隣人は頭がおかしいけど、もう私の心は浄化されて満たされたから、幸せだな、神の愛があるから私は幸せだなと思っていた。

そんなある夜のことである。

いつものように座椅子でぼーっと座っていると、だんだん意識が自分の内側に向かい、自然な瞑想状態が始まった。

夢と覚醒状態の中間にいるような状態で、意識はだんだん深く深く、沈降していった。そしていまだ開けたことのない心の闇の底へと私は潜っていた。

そしてある程度まで、意識が深くに潜ったとき、自分の中に存在していることも知らなかった、しかし長年そこにあったらしい、開けたくない心の押入れの扉がバーンと私の目の前に現れ、それがいきなり開放されたのである。

そしてその心の闇の押入れの中から溢れ出してきたのは、凄まじい量の、神への怒りであった。私はその感情に飲まれた。

かつて感じたことのない凄まじい怒りと恨みが私の心の深い部分から湧き上がり、噴火のように吹き出した。

以下、私の心の中での絶叫を忠実に模写したものである。

「てめえ! 神よ! ぶっ殺すぞ! なんで俺には彼女がいないんだよ! なんで俺には可愛くて優しくて俺を愛してくれる彼女がいないんだよ! てめえ、神よ、絶対にぶっ殺すぞ! くそっ、寂しいんだよ、なんで俺の人生はこんな寂しいんだよ、てめえ、神よ、絶対お前のことはもう絶対に許さないからな、殺す! 神よ、絶対に殺す!」

このような神への凄まじい怒りが私の心のそこから、闇のマグマのように噴出し、それは三時間ほど吹き出し続けた。

こんな憎悪が私の中にあるなどとそれまで知らなかった、凄まじい量のどす黒い怒りが、三時間、止まることなく吹き出し続けた。

その恨みと憎しみという感情は、あらかた表に出つくして、やがて少しずつ浄化されていった。

そのあとで、私に残されていたのは、しみじみとした願いだった。

「か、神様……彼女が、彼女が欲しいです」

素直なそんな願いが自然に心の底から湧いてきた。溢れ出るしみじみとした涙とともに、私は神に彼女を願った。

その数ヶ月後、理想の彼女ができました。

ラッキー!

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