前回、「自虐は危険であり、それよりもむしろ自他の良い部分に目を向けるべき」という趣旨の文章を書いた。
これは生活のあらゆる部分に当てはまることであるが、こと「創作行為」に関する領域でも大いに大切なことである。
ところで本サイトのテーマである瞑想やヒーリングやその類のことの最終目的のひとつは、「創造的になること」である。
よって今日は、いかにして「創造的になるか」というトピックについてちょっと書いてみたい。
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何かを作るにあたり、もっともその創作活動を阻むものは、自分から自分への感情的ダメ出しである。
自分の作ったものがダメなものに思え、そのダメ感を減らそうとして、そのための方法をネットや本で探す、という行為は、多くのクリエイターがやることである。
また、その行為によって知識は増えたはいいものの、それによってより一層、自分の作っているものがダメなものに見え、最終的にもう何も作れなくなる、というのが創作活動が失敗するひとつの定型的パターンである。
こんなことになるならいっそのこと、「どうやって上手に創作するか」などというハウツーは一切調べない方がいいし、人の意見など一切聞かない方がいい。
しかし人の意見を聞かなくても、自分の意見は常に頭の中で鳴り響いており、それがもっとも辛辣なものだったりする。
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どんな創作活動でも、「楽しんで」「たくさん」「続ける」ことで、勝手に能力は上達するし、作品はいずれ完成する。
だがうまくやらねばいけないとか、こうせねばならないとか、ここがダメだとか、そういったダメ出しによって、楽しさは苦しさに変わり、創作活動は苦行になり、いずれその行為は力尽きて途絶されてしまう。
それを防ぐためには、「ダメ出しする癖」を取り除き、代わりに「自作の良い点を見つける」習慣をつけることが役立つ。それは円滑かつ効率的な創作活動するうえでとても大切なことである。
ダメ出しする癖を減らすことで、創作のモチベーションが減ることを防げる。
また、自分が手がけている作品の良いところを探す癖をつけることで創作のモチベーションは増えていく。
しかし「そんな甘いことではいつまでも上達しないのでは。もっと辛く厳しくしなくてはいけないのでは」という昔の野球部の監督みたいな意見もあるかもしれない。
だが創作活動が上手になるとは、自転車が滑らかに乗れるようになることと同じようなものであり、それに必要なのは「内なるいい感じ」を掴むことであり、「流れに乗る」ことであり、その上で「バランスを保つ」ことである。それを修得するために辛さは必要ないし、むしろ辛さは繊細な感覚を邪魔し「内なるいい感じ」を捉える能力を阻害するかもしれない。
だから自分に厳しくあたるよりも、また、自作の悪いところを探しそれを直そうとするよりも、むしろ注意深く自作の良さを見つけ、その良さ、その「いい感じ」を深く味わい、その良さを喜び、嬉しがるような意識の使い方を学ぶべきである。
また、このような意識の使い方を、自分の作品にだけではなく、他人の作品にも向けることが大事だ。なぜなら他人にダメ出しする癖を持っているとき、それは必ず自分自身にも向けられるからである。逆に、他人の作品のいいところを探す癖を持っているとき、それは自分自身にも自動的に適応され、それによって自作のいいところが見えてくるからである。
「悪いところ探し」をするのは、本当にダメだったらダメだ! こと創作の領域で悪いところを探しをする癖を身につけると、本当に目も当てられないことになる。
といっても、もちろん人間には好き嫌いがあり、どうしても他人の作品の、こういうところが嫌だ、あるいは自分の作品のこういうところをなんとかしたい、という気持ちは消すことはできないかもしれない。その場合は、それについて深く考えることをやめ、ただ軽くスルーしたらいい。修正するときも、破綻が防がれる程度にサッと直したらいい。
どれだけ自他の悪いところを変えようとしたって、どうせ変わんないんだし。変わったってそれで何かが面白くなるわけではないんだし。
だから、つまらないことを探して時間を無駄にするより、いいところや面白いところを見つけてそれに集中し、それを増やす方がいい。
繰り返すが、つまらないところ、ダメなところに意識を向けるのではなく、面白いところ、輝いているところ、熱を持っているところ、美しいところに意識を集中すべきだ。(またそれは外部に存在する尺度によって図るのではなく、内なる感覚によって判断すべきだ)
そうすることで、良いところは少しずつ増幅していく。