瞑想やなにやら、その類のことに秘密めいたものは何もない。
前日の記事で書いた、ハイヤーセルフやソウルやスピリット云々というものは、自分の心の中を覗いたときに感じられる、特定の雰囲気を持った、なんらかの構造体を指している。それは直接体験できるものであり、直接体験する以外にそれを体験する方法はない。
そして直接体験しようとすれば、体験できる。
その体験によって新たな世界の扉が開く。
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自分はこの肉体によって生み出されている束の間の電気信号であるという自己認識、それは驚愕の現実縮小体験である。その体験の中では与えたものは減る。だから大切なものが減らないように守りつつ、必要なものを外から奪わなければならない。
だがそのような三次元物理世界は、超次元の存在の織物の、ごく一部、紙一枚ぐらいの薄いレイヤーに過ぎない。その薄いレイヤーの外に、無限の世界、無限の可能性が充満している。その充満の中で、与えたものは増えていく。だから与えあうことが存在の自然なあり方である、そのような無限の世界の中では。
この後者の世界はどこにも隠されていない。心の中を探究すればそこに見つかる。見つかったそれは、やがて心の外へと少しずつ広がって、そこを優しく、美しく変えていく。