本と人生 その13 奇跡のコースの奇跡より続く。
2008年か2009年ごろの話。
奇跡のコースのワークブックを進めていくと、様々な不思議な体験が生じるようになった。
自宅で椅子に座っていると、勝手にヒーリングが始まるというのがその一つだ。
ヒーリングというものは、一度体験してしまえば、その感覚がわかるのだが、これを口で説明するのは極めて難しい。
例えるなら、スターウォーズでルークがお父さんを許したとき、さまざまなシンクロニシティが発動して宇宙に平和が取り戻されたわけだが、あれが個人レベルでサッと起るのがヒーリングであると言えよう。
あるいは、また別の例えをするなら、小説一冊かけてやっと辿り着く心の成長、みたいなものが、瞬時にしてサッと起るのがヒーリングであると言えよう。
さらにまた別の例えをするなら、今までアクセス不可能だった心の中の押入れの扉が開き、その中に入っている過去の様々な、未消化な体験に光があたり、そこが超スピードで掃除されていくのがヒーリングであると言えよう。
いわゆるトラウマ的なものや、その他諸々の、より微妙な苦痛の記憶が、椅子に座ってぼーっとしているだけでどんどん癒やされていった。
ぼーっとしていると、なぜか脳波がおそらくアルファ波やシータ波的な、ふかーい瞑想っぽい脳波に変わっていき、そこで私は意識を保てなくなりほとんど寝てしまうのだが、その半分起きていて、半分寝ているような状態で見る、過去の記憶のイメージのような、夢のようなものを見ているうちに、心の底に隠されていたものが自動的に意識化され、癒されていくのだった。
それと同時に、様々な体の不調が表面に出ては、その後、消えていくという現象が起こった。心が癒やされることで将来の肉体的な問題の原因が消滅していっているのが感じられた。
また面白い効果としてあったのが、なんと視力が回復したということだ。
私は中学生の頃から眼鏡をかけていた。自動車免許も要眼鏡だ。
それがある日の朝、目が覚めて、眼鏡をかけてみると、なんだか違和感を感じる。
もしかしてまた視力が悪くなってしまったのだろうか? まったくもう、視力は年々、下がっていく一方だ。やれやれ。
だが、不思議なことに、眼鏡を外してみると、違和感が消えた。
それどころかメガネをかけているときよりも周囲がはっきり見えるような……。
そうなのである、なぜだかわからないが視力が回復してしまったのである。その後の免許更新でも、確かに眼鏡不要の視力になっていることがわかった。映画も眼鏡なしで観られるようになった。
私はその後、いままでずっと眼鏡はかけていない。(PC作業用に、JINZ PCというブルーライト低減用の度なし眼鏡はこの前買いました)
ということで私は日に日に「ヒーリング」なるものに興味を持ち始めた。
奇跡のコースのワークをやり始めた頃は、「癒やし」とか言ったって、まあ、何かの例え話としての「癒やし」なんでしょうよ、と思っていた。
だが現に明らかに私に言葉の意味そのものの癒やしが生じている。心理的レベルから、なんと肉体的レベルにまで。
日に日に、人生に希望が出てきた。
煙草も吸わなくなった。さまざまな中毒的、自己破壊的な行動が、何の努力もなく人生の中から消えてゆき始めた。
ファンタスティック、と言わざるを得ない。
私はより意識的にヒーリングを求め始め、そのための方法が書いてありそうな本を、本屋さんでたくさん探して読んだ。そのころ読んだ中で下の一冊は印象に残っている。
『幸せな子ども時代を取りもどすのに、遅すぎることはない』というタイトルが素晴らしい。基本的にヒーリングとは、過去を書き換えるということから生じる。過去の出来事に由来する、心の中の感情的なわだかまりや、過去に学んだ自由度の低い信念、観念を解くことで、現在に癒やしが生じる。
逆に言えば、今現在、生じている、人生の様々な領域におけるあらゆる問題は、すべて過去に由来しているのだ。
だから、心の押し入れを開けて、そこにある過去の記憶を一つ一つ取り出し、それをひとつひとつ愛し、許していくことで、それは新たな、癒やされた意味を持ち始める。そのとき過去の束縛は消滅し、それによってこの現在に、今まで想像したこともなかった、新たな可能性が拓け始めるのである。
私の中の心の中の押入れには、大量の、未解決の、未消化の、癒やされるのを待っていた、ぎゅっと固く抑圧された闇の記憶が眠っていた。
私はその闇の押入れの扉を、ずっと開けるのを恐れていた。
しかしそれを開け、その中にあるものを見るのは何も怖いことではなく、むしろ面白いことなのであった。
私は押入れの扉をもう閉じるのをやめ、ずっと開けておこうと思った。そうすると、押入れの奥にまで、ベランダから吹き込む風や光が勝手に流れこんでゆき、その中にあるものを全自動で癒やしていくようであった。そのような全自動ヒーリングマシーンが私の心の中に設置されたようだ、と当時の私は驚きを持って感じていた。
そのマシーンは機能を日に日に強化しながら、今も私の心の中で働いている。