より良いものを望むことは大抵、その人の成長にとって役に立つ。

なぜならそれは、古い硬直した思考パターンの破棄と、より自由で拡大した思考パターンの獲得を、その人に強いるからである。

逆に言えば、そのような成長のチャンスをもたらさない欲望は、ただの中毒的な行動か、悪い意味での執着か、その類のものであろう。

人間には誰でも魂の疼きのようなものがあって、それを求めなければどうしても満足できない何かがある。それを求め、それに向かって行動を起こせば深い満足が得られる。だがその満足も一時的なものだ。常により良いものが待っていて、それを新たに求めなければならない。

なぜなら成長とは無限であって、変化も常に無限であって、人は常によりよく進化し続けるものだからである。そういった人間の本質に反して、魂の疼きを無視し、より良いものを手に入れようとする運動をやめてしまったとき、人はその虚しさを埋めるために、何かの中毒行動に走ることになる。

何かを過剰摂取したり、気持ちを酔わせるものを飲んで心を麻痺させようとしたり、どうでもいいものを収集して心のスキマを埋めようとしてみたり。

だがどれだけそんなものを観て食べて飲んで集めても虚しさは埋められないのだ。

虚しさを埋めるには、自分の魂が望んでいるものを手に入れようとする運動を始め、それを継続する以外に方法は無い。

その欲望と獲得と成長のプロセスは、実は楽しく安全なものであり、心と体の健康に良いとさえ言えるものである。しかもそれは今この瞬間から始めることができるのだ。ただなんとなくちょっとワクワクすることをやってみることによって。

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