安心を得るには、安心は外部の状況に依存していないことを知る必要がある。
安心は、自分の心の状態にのみ依存している。
また、それは心の状態に依存しているのであって、脳の状態に依存しているのではないと知る必要がある。
脳が心をジェネレートしているのではない。
心の中に脳があるのだ。
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心の状態は、自分の意志によって変えることができる。なぜなら心とは自分のものであり、自分はそれに作用を及ぼすことができるからである。
というわけで、今すぐ無条件に安心することが可能だ。何らかの条件があるために安心できないということはない。いきなり今、何の前触れもなく完全に安心することができる。
どんな不安のさなかにも、そういった意識的選択をすることが可能だ。そして、そのような意識的な選択をするたびに、安心を感じる領域が生活の中に少しずつ広がっていく。
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不安を抑える薬を飲んで不安を抑えようとするのも、外部にある何らかの状況を変えることで不安を消そうとするのも、究極的には同一の行為だと言える。
それは自分から離れて外部に存在していると感じられる何らかのメカニズムを操作することによって、自分の心に安心を生み出そうとする行為である。
そのような迂回的、遠隔的な方法によっても、確かに心の中には安心を生み出すことができるかもしれない。
だが安心を生み出すべきは自分の心の中であって、そこに変化を起こすための、もっとも手っ取り早く確実な方法は、自分の心の中を直接のぞき込み、そこにダイレクトに変化を起こそうと試みることであるのは明らかである。
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心という、水槽のように透明な箱がある。
その透明な箱の前に鏡が置いてある。
その鏡には、心の中にあるものが投影され、様々な景色として映っている。鏡に何か不安を表す事物が映っているとき、それは心にある何かが鏡に投影されて映っているものである。
もし不安があるとしたら、その真の原因は心という箱の中にある。だから不安を取り除くには心の中に手を入れて、そこにある不安の原因をつかみ取り、それを変化、消滅させる必要がある。そしてそれを安心と置き換える必要がある。
そのような手法によってダイレクトに安心を増やすことができる。増えた安心感は自分で味わい楽しむこともできるし、他人に伝えることもできる。そのようにして地球上には少しずつ安心感が増えていく。