愛とはなんだろうか。

話に効く限り、それには二種類ありそうである。

すなわち、無条件の愛と、条件付きの愛との二種類が。

条件付きの愛とは、愛されるためには、これこれの条件が必要である、という愛だ。

無条件の愛とは、全く何の条件もなく、ただとにかく何の意味もなく愛されるという愛だ。

どうせなら無条件の愛を求めていきたい。それは画期的なものに思えるからだ。

もし今の自分が無条件に愛されるとすれば、もう何もかもOKということである。

今この瞬間のこの自分でもう何もかもOKということになる。

自分の中に何か凄まじくダメな部分があると感じられたとしても、無条件の愛は、無条件にその部分をも愛するだろう。なぜなら無条件だから。

そのように無条件に愛されるという感覚を想像することができるだろうか。

もしその想像をすることができたなら、そのとき、無条件に愛されているという感覚も感じることができるはずだ。

なぜなら愛されている状態とは、自分の心のひとつの状態であって、それは無条件に自分自身で作り出せるものだからである。それは無条件だから、生み出すのに何の条件も必要としないのである。

だから今このとき、自分は無条件に愛されることができる。

という、この件について考えれば考えるほど、何か論理の飛躍を感じるかもしれない。

あるいは、「愛」という言葉がゲシュタルト崩壊したように感じるかもしれない。

だがそれでいいのである。無条件のものは、思考によって考えることはできない。なぜなら思考とは条件判断の組み合わせだからである。無条件のものは思考を超えている。だからそれは思考以外の何かによって感じるしかない。

ただ、今、この瞬間の自分が、無条件に、ありとあらゆる部分まで愛されているという想像をすることで、実際にそれを心の中で感じることができる。

そうしたとき、それは現実となっている。

今自分が感じているあらゆる感覚、感情、思考、そのすべてを無条件に愛すると決め、それらが愛されていることを想像し、その感覚を感じようと試しているとき、無条件の愛が心の中で生成されている。

その能力があるから、この先もずっと安心して生きていくことができる。