他人に理解され認められ、支持されることを、多くの人はあまりに重要視しすぎている。

もし理解され認められることを過度に重要視する無意識の思考パターンが無くなったら、したいことをするのがとても楽になり、人生の中で生じる問題の九割は氷解する。また、理解され認められることを求めるあまりに自分の真の姿を隠すという悪癖がなくなることによって、結果的に、本当に理解され認められるという経験が増える。

いいことずくめだ。

だが理解されること、認められること、支持されること、あるいは共感を得ることへの中毒は、人によっては極めて深い。

これは幼少期から、行動→評価→報奨という条件付けが繰り返されてきたためである。

テストで良い点を取れば褒められ、悪い点を取れば叱られるというような、機械的な条件付けによって、「評価とは他人によって与えられるものである」という観念が心の奥深くにまで染み込んでしまったためである。

これは大問題である。

これは、世界をどのように見るかを決定する権利を、他人に預けてしまったということである。

その権利を失った時、自分の体験を創造するという大切な力を人は失ってしまう。

自由とはまず何より心の自由であり、そこから物理的な自由、社会的な自由が生じてくる。それを得るには心にかかっている枷を取り外す必要がある。

そのためのひとつの手段が瞑想でありインナーワークである。このブログでは読者の皆様に、そのような心の自由を得るための手段を提供したいと思っている。

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