もし「人生に意味がなく、世界にも意味がない」とあなたが一度でも気づいたなら、あなたはそれを行動によって証明しなくてはならない。
その一瞬の気付きは目覚めの始まりだ。その気付きは自分が今、幻想の中に取り囲まれていることを示している。
だがその幻想はとてつもなく強力な幻想であり、あなたの感覚と感情と思考をガッチリと掴んで離さない。
ほんの一瞬、「このすべてには何の意味もない。これは全部、幻想だ」と知的な理解を得た所で、あなたはその幻想から抜け出すことはできない。
だからあなたは全力を注ぎ、何年も継続的な努力をして、自分自身に証明しなくてはならない。
本当に、意味がないということを。
世界に、そして、世界をそのように見せているフィルターである、自分の感情と思考に、何の意味もないということを、自分自身に証明しなくてはならない。
それを証明するには、世界に対して、無条件の何かを表現する必要がある。
世界が無意味なら、あなたは無条件の何かを表現できるはずである。
無条件の何かとは、無意味さに対して発動されうる表現であり、それは愛と呼ばれている。
また、あなたは、やりたいことをやらねばならない。
なぜなら世界は無意味であり、無意味であるからこそ、あなたは自由だからである。
もし本当に、何もかもが無意味なら、あなたは何にも束縛されていないことになる。
束縛されていない存在がやることと言えば、それはもちろん、やりたいことである。
もしあなたがやりたいことをやれているなら、世界の束縛から自分が自由であることを自分自身に証明できており、それゆえにあなたは三次元的なあらゆる意味が本当に何の力も持っていないことを少しずつ体感していく。
だがもし、あなたが心のどこかで「世界は無意味だ」と思いつつも、それでいて世界にビビって、やりたいことをやれず、言いたいことも言えず、自由に愛も表現できないなら、あなたはやはり「世界には意味がある」と信じており、その思い込みから抜けだせずにいるのである。
本当に、あらゆるシンボルそれ自体に意味はないと思っているなら、本当に、何もかもが相対的だと思っているなら、本当に、すべては言語の戯れだと思っているなら、あなたは行動で、それを自分に証明しなくてはならない。
でなければあなたは『NHKゾーン』にハマってしまう。そんな泥沼から飛び立つためには、ハートの情熱を燃やし、それをエネルギーにして行動しなくてはならない。
ハートの情熱、それは意味を超えたものである。世界は無意味だから、自分も無意味だからこそ、人はハートを燃やし、情熱に自分を賭け、幻想の束縛をすべて振り切り、本当にやりたいことをやり、無条件の愛を表現することができる。
それによって人はようやく真の意味、思考と感情を超え、時間と空間を超えた超次元の意味に自分が導かれていることを深く認識し、それを信じ、それに安心して自らを委ねることができるようになる。