人生は魂にとっての『ダンジョン攻略放置系ゲーム』のようなものだ。
そのような比喩で人生を観たとき、魂はゲームのプレイヤーに相当する。
魂は『三次元的人生』というダンジョンに、キャラクターを送り込む。
その際、魂はそのキャラがどこに生まれるか、どのような性質、能力を持ったキャラクターにするか、またその人生の中でキャラが向かう大まかな方向性などを決める。
そのようなキャラクターの各種性質を決めた後、魂はそのキャラクターに自分の一部を埋め込んで生命を与え、人生に向けて出発させる。そうしてそのキャラクターが三次元空間内に誕生する。
人生が始まったあと、魂の本体はそのキャラクターが自動的に動いていくのを、ほとんど黙って見ていることしかできない。なぜなら、そのキャラクターと魂を繋ぐ入出力回路は、物凄く細く、また魂にとって『三次元人生』という舞台は、とても遠いものだからだ。魂がいる世界と、キャラクターが動いている世界は、文字通り次元が違う世界であり、異次元間での情報の通信は難しい。
そのため魂はキャラクターが人生を攻略していくのを黙ってみていることしかできない。キャラクターは魂が設定した目的に向かって進むときもあれば、その真逆の方向に進み、人生に迷ってしまうこともあるだろう。
だがあるとき、ゲーム内のキャラクターが、ふと足を止め、魂とのダイレクトなコミュニケーションを求め始めるときがある。キャラクターはゲーム内の世界で、何かを得たり倒したりすることから、ふと目をそらし、自分の内側にある、自分の本質、魂の小さな欠片を見つめ始める。そのとき異次元にいる魂の本体もまた、キャラクターを見つめ返している。そしてキャラクターと魂は相互に見つめ合い、次第に次元を超えるリンクを形成し始める。
結果、魂とキャラクターは融合を始める。そのゲームは放置系ゲームではない、ダイレクト・コントロールゲームとなる。キャラクターは生まれてきた目的を明瞭に知る。そしてゲーム攻略の新たなレベルが幕を開けるのである。