仕事とは、何かの結果を出すために行われる。

前もって、求める結果を決めておくことで、その仕事によって得たいものが得られる可能性が上がってくる。

どうせ仕事をするのであれば、できるだけ良いものを生み出したいものである。

良いものとはなんだろう?

良いものとは永続するものであり、それを持つことによって何かしらの反作用が生じること無く、ただ良いことだけが生じるものである。

そういった良いものを求めようとして、さてそれは具体的にはなんだろうかと考えるとき、その良いものは必然的に何かしらの精神的なクオリティであるということに気づく。

自由さとか、安定感とか、明晰さとか、豊かさ、楽しさの感覚などの、精神的なクオリティこそが、良いものである。それは目に見えないが、具体的なものであり、ロールプレイングゲームのキャラクターの能力値が増減するように、それらのクオリティが心の中で増えていくことを感じようとすれば確かに感じることができ、またそれが増えた時、生活スタイルの目に見える具体的な変化としてもその増大を知ることができる。

心の中には隠しパラメータが存在している。

安心感のパラメータがある閾値以上に低まった時、その人はいわゆる鬱病という言葉で表される状態になる。

自分への無条件の愛や、自他や宇宙への信頼というパラメータが下がりすぎた時、その人は、いわゆるメンヘルという言葉で表される状態異常になる。

明晰さや、自分の本質との接続率というパラメータが下がりすぎた時、その人の生活は、自分がどこに向かっているのかわからない、どこに向かえばいいのかもわからない、外部からの情報に右往左往してしまう五里霧中な感じになる。

だが生活の中に何かの問題が生じているとき、それを引き起こしているパラメータに変化を与えれれば、なんにせよその問題は解決していく。

起きていることのすべてには、原因がある。

その原因は、目に見えない領域、人の心の中にある。

起きていること、目に見えていること、それを変えようとして、目に見えるところにアプローチするのは、時間とエネルギーの無駄である。

物事の原因にアプローチしてこそ、結果が変わってくる。

だから仕事とは、物事の原因部分に変化を起こすためにやるべきなのである。少なくとも、物事の原因部分への知覚を獲得した者は。あるいは、そういった領域が存在している可能性をわずかでも知り得た者は、物事の根本原因が存在する領域を探求することを望み、そこに変化を起こす能力を得ようと心がけるべきである。

そして日々の仕事の目的を、たとえそれが見かけ上は、いつも通りの、物理的なレイヤーで仕事をしているのだとしても、何かの精神的な良いクオリティを自他の心の中に、増大させるということに向けるべきである。

そのようにして心の中で増大したものは、自然にその人の人生の中に物理的な表現として現れ始める。その人の目に見えるものすべてのものの原因は、その人の心だからである。