物理的な行動を伴う努力にはいくつかの意味があります。
努力の中でも特に目標達成のために意義深いのがその反復という側面です。
反復とはリズムの中で同じ行動を繰り返すことです。
反復的行動には、常に形骸化した意味の失われた儀式に堕す危険性が付きまといますが、反復行動そのものに価値を見出すことによって結果への無執着的態度を養うことが可能になるという大きなプラスの側面もあります。
例えば、ホームページの更新であれば、淡々と、前もって決めたパターンで更新することを第一の目的とすることで、他の、直接的にコントロール出来ない外界の事象、訪問者の数等、をコントロールしようとするエゴ的な心の動きを消滅させていく効果があります。
他のいろいろな努力も同様です。
結果をコントロールしようとする気持ちを手放し、何かを淡々と続けること。
そしてそのように、リズムの中で同一の行動を、惰性に任せて行えるようになった時、そのとき余裕のできた心で、あるいは空っぽになり、無心になった心で、もう一度、問うのです。
そもそもこの行動は何のためにやっているんだったっけ? と。
繰り返される努力、何の意味があったのかも忘れてしまった努力、その意義は自分にしかわからない、あるいは自分にももうわからない努力、もしかしたら世界でたった一人で続けているように感じられる努力、圧倒的孤独の中で、と、その時はそう感じられているかもしれない努力。そのような努力に疲れ果てた手をふと休めてあなたは問います。
これは何のためだったのか、と。
努力、行動。それは何かから何かを得るためにしていたのでしょうか。だとしたらその何かを得ようとするのは何のためだったのでしょうか。
それとも何かを与えるためだったのでしょうか。与えたものは人生の中に増えていく、だから欲しい物を与えるべしという黄金律が確かに本当だったとして、ではあなたは何を自分の人生に増やしたかったのでしょうか。喜びや楽しみでしょうか。それは自分にとってどんなものだったのでしょうか。その色や、形は。それが与えられた時の気持ちのことを覚えているでしょうか。
反復運動のさなか、呼気と吸気のちょうど中間にある静止した瞬間のさなかで、そのような根本的なことを問うとき、それまでの反復的な努力によって心の中に溜まっていた魔法の力が、その根本的な問の中に流れ込み、あなたの中にひとつの、今まで持ったことのない洞察を芽生えさせるかもしれません。
その洞察は、あなたのエゴを超えた性質を持っており、あなたの肉体を超えた性質を持っており、いわば宇宙的な性質を持っているかもしれません。
それは言葉に表せば「とても良いことがしたい」「本当に良いことがしたい」「皆のためになることがしたい」「世界を良くしたい」という気持ちかもしれません。そのような無私の美しい望みが自分の中に本当にあったことを発見したあなたはその時、歓喜とともに聖なるものを知ります。
聖なるものを自分の中に見出した喜びと共に、その聖なるものは振動を始め、あなたの存在全体を貫き、宇宙全体へと広がっていきます。
果てしなく、どこまでも、無限に。
そしてそのさざなみのような振動は、その日はおそらく、三十分もすれば静まって、あなたはその夜は普通に寝ます。
しかし伝わった振動、あなたから放射されたヴァイブレーションは、すでに宇宙全体に作用しています。だから宇宙はそれによって変わっていくのです。寄せては返す波のように、あなたが放射した波が、しばらく経って、数年後か、数カ月後かに返ってきます。そのエネルギーを受けたあなたはより大きな波を起こします。今やあなただけではなく、沢山の人があなたと同じように良き意図を持って波を起こしているのが感じられます。その波は共鳴し、透明な水面に複雑な波紋を生じさせます。その波紋の織りなす生命の花のような生きた幾何学模様の中には、あなたの存在の真の偉大さ、全体性を表すコードが埋め込まれています。それを鏡のように覗きこんだあなたは深い自己認識を得て、永遠の満足を得ます。