本当はそんな区分けは必要ないのかもしれない。しかし意識の発達の特定の段階では、光と闇という二つの属性が世界の中に存在していると考えることは、自分の意識の操作に習熟するために有用なことであろう。

光とは軽く、綺麗で、楽しく、リラックスでき、情熱をかきたて、分裂ではなく融合、後退ではなく成長、形骸化ではなく柔軟さををもたらす力の象徴である。

闇とは、それの反対であり、重く苦しく悩ましいフィーリングの象徴である。

闇とは光の欠如であり、光を当てることでそれは消滅する。そのことから、闇という属性に実質はなく、それは存在していないと考えることもできる。

とあるご家庭に汚い押入れがあるとする。その中に、闇が入っているわけではない。押入れの戸を開けて、そこを掃除すれば、その中も意識の光で満ちる。よって単にその押入れの中は意識が当たっていなかっただけであると考えられる。

一方で、闇には質量や絡みついてくるような性質があり、特定の場所や人や部分にコールタールのように溜まる性質を持っていると捉えることもできる。

闇が存在するにせよ、しないにせよ、そのようなネガティブなフィーリングを持つものに、惰性的に意識を集中させることは、好ましくない。ネガティブなフィーリングを持つものに、惰性的に反応するとは、ネガティブさにネガティブさを付け加えるということである。

押入れの例えで言えば、汚いからあまり見たくない、その押入れの中に、無意識的に、自分が見たくないものをどんどん入れていき、それによって押入れの中はどんどん汚くなっていき、それにより押し入れへの嫌悪感や恐怖がつのり、直視することがよりいっそう難しくなり、それが存在していることすら抑圧するようになり、その抑圧された闇を外部に投影し、外部に存在するように感じられる汚い押入れに怒りや憎しみをぶつけ始める……というような行動が、ネガティブなものへのネガティブな惰性的行動、闇への闇的な反応ということである。

このように、闇に惰性的に反応する習慣を持った人の人生の中では、それがどんどん増幅、拡大していく。

増えた闇は、その人の人生の中で、より目につきやすくなるため、その人はより一層それに惰性的に反応し、それを人生の中にもっと沢山、増やしてしまう。そのようなネガティブさのフィードバック・ループが形成されたとき、その人は苦しみの中に固定されることになる。

これが鬱の原因である。どこを見ても苦痛の原因しか見えない。知覚された苦痛は意識の中で増幅し、より一層、意識を苦痛に固定する。

このフィードバック・ループから抜け出すには、単に、意識を集中する焦点を、別のものに変えればいい。

もし、闇の属性を持ったものに意識を集中するのではなく、光の属性を持ったものに意識を集中し、それを一定時間以上、一定量以上、保持することが出来たなら、そのとき、生活の中に、闇ではなく、光が増えていくことをその人は体感し始める。

あるいは、闇に惰性的に反応するのではなく、闇に光をもたらそうという意図を持って、意識的に反応することによって、闇に光がもたらされる。

つまり、汚い押入れの中に、意識的に、明晰さをもたらそうとして、その中を覗きこめば、その中にある汚いゴミはもはや恐れや嫌悪感を持たず、単に整理整頓する対象となる。

だがそのような強い意識性、明晰さを獲得するには、まず意識の中に、一定以上の光が必要だ。だから闇を見つめる前にはまず、心の中に光を増やすことが必要になるかもしれない。

会った人、読んだ本、行なった活動、聞いた話。一日の中で接するあらゆる物事が、自分にとって、光か闇の属性、どちらかを表している。自分にとって光を表しているものの方に集中するのだ。暗いニュース、気持ちを落ち込ませるもの、そういうものへの惰性的フォーカスを外し、自分の気持ちを少しでも向上させるような、リラックスさせるような、安心感を抱かせるような、希望を抱かせるような、そういった対象に意識を向けるのだ。

それはつまり、自分の望まないヴァイブレーション、雰囲気を持った事物を意識的にスルーし、自分の望む性質を持った事物にのみ、意識をレーザー光線のように集中させるということである。

それは受動的な意識の使い方をやめ、能動的な意識の使い方へと切り替えることで成し遂げられる。

光の属性を持った事物は、心地良いものである。

安心感、豊かさ、喜び、楽しさ、嬉しさ、心地よさ、情熱、リラックス、愛情。

そういった心地良いものに、意志の力を使って、意識を集中させること。

これが能動的に自分の人生を創造するとき、必要となる作業である。

もう闇を無自覚に吸収し、それを貯めこむスポンジのようなものになる必要はない。

もし闇を吸収する癖がついているなら、その癖は、意識的選択によって、取り除くことができる。

そのための最初の一歩は「自分は闇ではなく光を選びます」と、五回、心の中で唱えることだ。このような意識的宣言は、人間が行える行動の中でも、トップクラスに強い変容力を持っている。人生のすべてを変える力を持っている。

そしてそのような意識的選択によって、人はいずれ、光を浴びて育つ美しい樹木のようなものになることができる。

光を吸収し、それを周囲に振りまく光のスプリンクラーのようなものになることができる。その樹木の周囲、スプリンクラーの周囲には光が放射され、放射された光が世界を輝かせ、それによって光の吸収量が増し、それによって光の放射量が増えていく。

そのような光のフィードバック・ループが形成された時、その人の人生の中では、無限に光が増幅し始める。

このような光のハウリング状態に移行すること。これが「光明を得る」ということであり、Enlightされるということであり、Illuminateされるということである。