本ブログではアセンションなる言葉を『意識の波動を上げること』と定義している。
波動を上げるというと、日本語が少しおかしい感じがある。意識の波動の振動率を上げるとか、周波数を高めるとか、そう書くべきなのかもしれない。だが、振動率、周波数といったところで、何か科学的、客観的な尺度があるわけでもなく、それは主観的にのみ感じられる微細な雰囲気を比喩的に表したものである。
というわけで「意識の波動を上げる」という言葉は、あくまでふわっと、何かの比喩的な表現であると考えて本ブログを読み進めていただきたい。
とにかく意識の波動を上げることがアセンションである。
また、ある閾値以上にまで意識の波動が高まったとき、その意識はほぼ自動的にその波動を上昇させ続ける運動を始める。そのような安定的なヴァイブレーション上昇作用を得ることを、アセンションと表現してもいいだろう。
意識のヴァイブレーションが上がったとき、さまざまな恩恵が得られる。
- 願望が実現する速度が速まる
- シンクロニシティが増え、物事がスムーズに流れる
- 人間関係が円滑化していく
- 心と体にヒーリングが起こる
- 周囲の環境と人々に真のプラスの影響を与えることができる
などなど。
良いことずくめのように思われる。
しかしアセンションには様々な難しさがつきまといがちである。また、アセンションしようと思い立って、2日3日でできるものでもなく、それなりの時間が必要のようである。少なくともまだ今このときにおいては。
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私が個人的に、特に感じたアセンションにまつわる難しさとして『恥ずかしさ』という感情がある。
アセンションという語がまず恥ずかしい。
波動とかいう疑似科学的な表現をせざるを得ないのが恥ずかしい。
愛とか光とか言わなければいけないのが恥ずかしい。
天使が、とか言い出さなくてはいけないのが恥ずかしい。
しかし驚くべきことに、アセンションを表すに相応しい語句は、やはりアセンションなのであった。そのため、なかなか他の、恥ずかしくない言葉に言い換えられない。
またアセンションに関連して、波動や周波数という言葉は、あくまで比喩的な表現であるものの、この件で表現したい対象をもっとも適切に指し示す語句のように思える。そのため、どうしてもこの疑似科学的な雰囲気を伴う言葉を使わざるを得ない。
愛や光も同様である。天使もアセンションのプロセスには欠かせないものだ。天使は天使であり、アセンションには天使の助けが実際問題、現実的に必要なのである。そのためどうしてもこのファンタジックな語句を使わざるを得ない。
だがそれを公衆の面前に表現せねばならない恥ずかしさは、この私にとっては、つい最近まで筆舌に尽くしがたいものがあった。だが自分の内面にて感じられた真実をこのように言葉にして表現するということも、円滑なアセンションのプロセスには欠かせない活動である。よって恥ずかしくとも天使や愛や光や波動なる言葉を、使いたいと思ったときは、まっすぐそのまま使わざるを得ない。
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アセンションには人によって様々な障害があり、その障害は多層のバリアーのように、自分の心の中に何重にも張り巡らされている。
その障壁を一つ一つ破壊して、上昇のための道を作り、天と地をつなげるのがアセンションである。
その作業は心の土木工事に例えられ、その作業で切り開かれるべき道は人によってそれぞれ異なり、その中で解決せねばならない課題は十人十色である。
だからその道を切り開く工程は独自性に溢れ、エキサイティングで面白いのだ。