前回の記事では『自分を知る』ことについて書いた。創作行為をする自分と、普段の日常的な自分の間には、ズレがあることが多い。創作行為をする自分を知り、そのズレをなくしていくことで、エネルギーの無駄のない気持ちのいい創作行為が可能になるという趣旨の記事であった。さらにそのための具体的なワークについても軽く紹介した。
今日は『自分を深める』ことについて書く。これまた学校の標語のような、精神論的なスローガンに聞こえるかもしれないが、『自分を深める』ことは長期的な迷いのない創作活動のためにとても役立つことであり、そのための具体的なワークもたくさん存在している。決して精神論的なものではない。
『自分を深める』とは、自分の意識を、浅いところから、深いところまで、意識的に認識できるようにすることである。それは練習によって成し遂げられる。
『意識』には、浅い部分と、深い部分がある。普段、日常的な活動をしているとき、意識の浅い部分が表に出てきている。いわゆるトランス状態や瞑想状態のとき、人は自分の意識の深い場所にアクセスしている。
浅い意識と深い意識、そのどちらも創作活動のためには必要なものである。浅い意識は誰もが普通に使っている、普段使いの意識状態である。一方『深い意識』は、まだ多くの人にとって未知の意識状態であり、ミステリーに包まれている。だがさまざまなアイデアやインスピレーションは、その深い意識状態の奥から生じるものである。
アイデアとは既存の物事の新しい組み合わせによって生まれるとはよく言われることであり、それは一面では真実である。実際、新しいアイデアが形になったものを見て、その内容を分析してみれば、そこにはすでにある事物の組み合わせしか発見することはできないだろう。
だがいくら既存のものをパターン分析しても
新しいものを生み出すことはできないのだ。新しいものを生み出すためには、新しい組み合わせを発見する必要がある。その新しい組み合わせについてのアイデアは、自分の意識の深い場所から湧いてくるものである。意識の浅い部分にある既存の事物をいくら虫眼鏡で研究してもそこには何も新しいものは見つからない。新しいものを生み出すには自分の意識の深みにそれを注文し、何か新鮮なものがそこから湧き上がってくるのを待ち、それをキャプチャーする必要があるのだ。
とってもそれは特に難しい作業ではなく、多くの人がそれを自然に、無意識的にやっていることであると思われる。
だがときにその自然なアイデア取得のための心の働きが、ぶっ壊れてしまうことがあるのだ。あるいはもっと、アイデア取得のための心の機構を効率化させたいと思うときがあるのだ。
そんなとき人は自分の心の深みへの意識的なアクセス能力を探し求める。その試みを瞑想というときもあれば、祈りというときもある。酒を飲む、何かしらの薬物を使うなどの行為も、実はすべて自分の心の深みに触りたいという願望の表れである。人は無意識のうちに、常に、自分の心の深い部分に接したいという欲望を抱えて生きている。なぜならそこに大切なものがあり、またそれに触れることで、何か新しい良いものを自分の人生の中に生み出せることを本能的に知っているからだ。その変性意識への憧れは本当に強いものがあり、万人の人生とは、各自がそれぞれのスタイルで身につけた変性意識状態に至るためのツールセットを中心に作り上げられる。
だがそれは本項のテーマではないので、話を戻します。なんだったっけ? そうそう、とにかく自分の心の深い部分にアクセスできるようになれば、さまざまなクリエイティブなアイデアが得られるということだ。
だが一言で『深い意識状態』といっても、海面の下には浅瀬もあれば、大陸棚もあれば、海溝もあるように、さまざまな深度の場所がある。またそれぞれの深度に応じて、その深度に意識をチューニングするための行動も変わってくるだろうし、その深度で行える精神活動も変わってくる。
というわけで、これはとても広大なテーマであり、あとどのくらい書いたらこの文章を終えることができるのかわからなくなってきた。
とりあえず今日はこの辺で終わりにしたい。続きはまた次回。。。。。