前回の記事で「ハイヤーセルフが云々」という文章を書いた。
メンタルヘルスを良好に保ちながら、継続的に新しいアイデアを得てそれを表現する、つまり創作行為を続けるにはハイヤーセルフなるものと意識的に繋がることが大切である、といった趣旨の文章である。
しかしそれを為すためには多くの障害がある。前回の記事に書いた、「高い意識」と「低い意識」の混同がまずその一つである。この混同により、何かトラウマ的なものや、ドロドロした無意識的領域の中に、輝きを探そうとする傾向が生じる。この傾向によって多くのアーティストが死に、多くの神秘家の頭はおかしくなった。気をつけたいものである。
だが意識状態の「高い」「低い」など、どうやって見極めたらいいのだろう。それは何よりまず、意識状態、意識レベルに「高い」「低い」という上下のレベルが存在しているという観念を受け入れることである。
だが現代人にとって、これはとても難しい。
意識状態に、高い低いというレベルが存在するということは、現代の支配的な科学的世界観に反するからである。科学的世界観は物と物がどのように関連しあっているか、その因果関係を説明するが、それはどこまでも平面上にフラットに広がっていく世界であり、そこに人間の主観的な意識の深み、高み、といったクオリティが介在する余地を認めない。
まあそれはそれでいい。そういった思考形式が役立つ領域は確かに広大に存在しており、その利便性は誰もが認めるところである。しかしこと自分の人生の問題となると、また自分の人生に何か新しいものを生み出そうとするとなると、そのようなフラットランド的思考形式は、ほとんど何の用もなさないか、有害なものとなる。それは単にその思考形式が、人生の問題に適応することはできない、カテゴリーエラーなものだからである。
しかし現代人の多くは、この、特定の領域にのみ適応することができる科学的思考形式を、生活のあらゆる領域に適応しようとする癖がついている。
自分の人生の問題は、完全に主観的なクオリティを扱うことになる領域であり、そこで頼りになるのは、自分の主観的感覚だけだ。それ以外の客観的指標はすべてノイズになる。
自分の人生に何か変化を起こそうとするとき、その作業は自分の主観的感覚を使って行われるべきものである。他人の指標を頼ったとき、外にある世界観を頼ったとき、それは迷いの元となる。
そこで、そのような作業をするときは自分の意識の中を覗き込む必要があるのだが、そこもやはり迷いの元にあふれている。意識の低い部分から生じるドロドロしたノイズと、意識の高い部分から来るクリアな直感が入り混ざり合い、その中から正しいシグナルを見つけ出すのは難しい。
だが物理世界からやって来る雑音をスルーし、さらに自分の心の中に満ちているノイズも無視して、その中にかすかに響いているクリアなシグナルを聞き分けるという作業を通してのみ、何か新しいものを自分の人生に創造することができるし、それによって自分が真に望む方向に人生の舵をとって行くことができるようになる。
そのためにはそのクリアなシグナルを心の中で発している発信源が存在するという仮定をまず受け入れることだ。さらに、心の中には、無意味なノイズと、意味のあるシグナル、そのふたつを発する、低い部分と、高い部分が存在しているという、高低の区別を導入することだ。
これによって、意識の中に、立体的な広がりが生まれる。
立体的な広がりを持つ意識の深み、無に満ちた静寂の中にハイヤーセルフがいる。
立体的な広がりを持つ、意識のはるか高み、地球の重力を超えた先に、ハイヤーセルフがいる。それはクリアなシグナルを発しあなたを導いている。