あなたは今、巨大な楽団の一員として、とても長く続く交響曲を演奏している。七つの振動板を持つ、大事な楽器を腕に抱えて、もしかしたら永遠に続くのかもしれない交響曲の、自分のパートを、大勢の仲間に囲まれて演奏している。交響曲を構成するどのパートも重要であり、各自が、自分の担当するメロディを弾くことで、この壮大な交響曲は意味をなすものとなる。

だが交響曲は、ついさきほどまで「歪み」「分離」がテーマとなる楽章を奏でていた。その恐ろしげな楽章は、一種の実験的な演奏法が取り入れられていた。楽団のほぼ全員が、あえて自らの楽器のチューニングを狂わせながら、音楽を奏でるという演奏法である。

最初は誰かのごくわずかな楽器のチューニングの狂いだったかもしれない。そのほんの僅かな狂いが伝播され少しずつ増幅されていく。

演奏中、周囲の仲間から狂った音が聴こえてくる。その狂った音に合わせて、あなたも楽器をチューニングしていく。そのため、各演奏家が抱える楽器の狂いは、小節ごとに指数関数的に増幅していくことになる。その結果として、今、ホールには気が狂ったような不協和音が凄まじい大音量で響き渡っている。

だがそのような、もはや修復不可能と思われるまでに崩壊した、交響曲の中にも、耳を澄ませば、懐かしいメロディが、いまだ鳴り響いていることに、あなたは気づくかもしれない。

この無数のノコギリの刃のようなディストーションの中でも、決して、周囲の満ちる歪みに自らの楽器を迎合させず、最初から続く調和を絶対に崩そうとしない、常にハーモニーを奏で続ける者たちが、ごく少数であるが存在していたことにあなたは気づくかもしれない。今、そのような調和を表現する音を、歪んだ轟音の中から聴き取ることは、十分に容易である。

なぜなら、古い楽章のテーマ、すなわち「歪み」「分離」が、古い楽章の中で十分に表現され、探求され、それがどのような体験を聴くものに与えることになるのかが、その実験の中で十分に試されたとき、その楽章は存在の意義を果たし終えたことになるからである。そしてその古い楽章は役割を終え、そのかわりとなる新たなテーマの楽章が、すでに始まっているからである。

新たな楽章のテーマは「調和」そして「統合」である。今はまだ古い楽章が終わったばかりであるために、依然として各団員の楽器はこれ以上ないぐらいにチューニングが狂っている。そのため、新たな楽章が始まったのちも、誰もそのことに気づいていないのではないか、いや、そもそも新たなことなど、なにも訪れてはいないのではないかと思われるほど、ホールには以前と何も変わらない、歪んだ不協和音のみが轟いているように、あなたには感じられた。

だが確かに違いはあった。何か本当に新たなものを求めて耳を澄ませば、周囲に満ちる、無数の錆びた回転ノコギリの回転する刃のような刺々しい音の中に、調性の取れた、澄んだクリスタルのような音色が、雲間から差し込むひかりのように幾筋か、確かに響いていることに、今では容易に気づくことができた。少し前の、古い楽章の中であれば、そのような澄んだ音は、厚い不協和音に阻まれて、もしかしたらあなたの耳には届かなかったかもしれない。だがそれは今、まだかすかな気配のような頼りない音量であろうとも、なんであれあなたの耳にまで届いているのである。

そしてもしあなたがそれを望むのであれば、楽団の団員で満員のホールの中で、どこかの団員が奏でている、揺るぐことのない、暗闇の中の灯台のようなハーモニーに、意識を集中させ、その音色を求めることができる。そしてその音を頼りとして、自らの楽器を調律することができる。

もうずっと、不協和音が響くことがあたりまえだと思ってきた。

歪みは増幅され、二度とそれは立ち直ることなどなく、ただひたすら、重みは増大し、二度と救われることなどないと思っていた。その中では無意味さこそが正しいメロディであると思われ、意味を求める行為はすべて自己欺瞞のなせる技であるかのように思われていた。

そんな中で、もしあなたが、本当に澄んだ音を聴いたのなら、もしかしたら最初はその音の調性の正しさを、信じることなどできないかもしれない。その音も、結局は、ただの不協和音の一筋の流れにしかすぎないのだろう、そのように感じられるかもしれない。

だが遥か太古の記憶が心の中に残っており、生まれながらの音楽家としての本能があなたの中に残っており、それによってあなたは直感的に気づくはずだ。自分が美しさを求めていることを。

だから今、ホールのどこかから聴こえてくる、あの澄んだ音、それが正しい音であることが、きっとわかる。

そしてさきほどまで不協和音を奏でていた団員の誰かが、楽器のチューニングを、どこかから聴こえてくるあの澄んだ音に合わせ始める。それによってごく僅かであるが、ホールの中に、鳴り響く轟音の中に、調和が少しだけ、増えていく。そして躊躇していたあなたも、自らの楽器を、正しいチューニングへと調整し始める。

そのようにして、今始まりつつある、「調和」「統合」の楽章においては、ごく僅かずつであるが、各楽団員が、手探りで自らの楽器のチューニングを修正していくことになる。そして正しい方向にチューニングが修正された楽器を、力いっぱい弾く。

そのとき楽器から表現される澄んだ音は、今だ周りを満たしている不協和音の中では、もしかしたら、場違いな音のように響くかもしれない。もしかしたら、その澄んだ音、調和の取れた音、本当に優しい音こそが、間違っている音であり、周りに満ちる、ギザギザした攻撃的な音の方こそが、正しい、リアルな音であると感じられるかもしれない。

そして場違いな自分を恥じ、せっかく、正しい方向性にチューニングが合ってきたその楽器を演奏することを、あなたは、やめてしまうかもしれない。

だがやめてはいけない。

どこかで鳴っている正しい音を探し、それに意識を集中させることを。

そして自らの楽器を正しい方向性へとチューニングすることを。そしてその正しい方向性にチューニングされた楽器を、とにかく鳴らして、音を響かせることを。やめてはいけない。

周りとどうしても足並みを揃えられないと感じても。どうしても周りから浮いてしまうと感じられても。自分の正しい音を求め、それを響かせることを、絶対にやめてはいけない。

正しい音、あなたが弾くべきメロディ、それは存在している。その存在を信じることを、絶対にやめてはいけない。そして、理想が存在し、それを自らの手に掴むことができ、その中で生きることができると信じることを、絶対にやめてはいけない。

やめずにそれを求め続けるのだ。理想の音を求め、それを表現しようとすることを続けるのだ。何があっても。

あなたがあなたの音を発し続ければ、その音の輝きは広がっていく。そしてこのホールの中に、あなたのように、調和の取れた音を奏でる楽団員の数が、少しずつかもしれないが、増えていくことになる。
そしていずれ、その調和は、ある一点で、スレッショルドを超え、シンギュラリティを超える。

そのとき、「歪み」「分離」という闇の楽章によって蓄えられていた下降のパワーは反転し、「調和」「統合」という新たな楽章の上昇する旋律へと解放されるだろう。それはとても豊かで美しく心躍るものになるだろう。

楽団員たち皆が奏でるその音は、クリスタルのように澄み渡りながらも、複雑に絡み合い、色鮮やかで豊穣に進化し続ける。それはこのホールという宇宙の隅々に広がり、太陽系を超え、銀河を超え、その境界を新たな創造の力によって、どこまでも押し広げていく。