心にはレイヤーが存在する。

高いレイヤーは低いレイヤーに対する統御力を持つ。

ごく大雑把に書くとそれは以下のようになる。

  • 意志
  • 抽象思考
  • 思考
  • 感情
  • 感覚

思考と感情と感覚が、通常、人間が日常的な意識で認識できる心の構成要素である。また、この三つが絡みあったものを、人は通常、自分の人格として認識している。

特に現代では、自分の思考作用を、自分自身のコアとして認識している人が多い。だが感情作用に自己認識の土台を置いている人もいれば、肉体感覚に自己認識の土台を置いている人もいる。これはまったく人それぞれである。

人格の構成要素よりも上のレイヤーに存在する抽象思考と意志は、通常の人格のレイヤーからは捉えがたい。それは感情も思考を超えているために、思考や感情によって測ることができないし、それについて思考することもできない。

現代人の多くが採用している思考の枠組みは、抽象思考以上のレイヤーが存在していることを認めない。またその存在を示唆する直感を打ち消すような思考パターンを多くの人々は自分の思考パターンとして、おそらく無意識のうちに採用している。その思考パターンはいわば遺伝的なものであって、人類が共有しているものであり、その思考パターンから抜け出すことは難しい。その思考パターンは以下のように、人格の構成要素と、抽象思考以上のレイヤーの間に壁、あるいはバリヤーを作っている。

  • 意志
  • 抽象思考

~~~~~壁~~~~~

  • 思考
  • 感情
  • 感覚

この壁をとある西洋瞑想システムでは、『パロケト』などと称し、自分の日常的意識と、自分の深部にある魂的な意識との間を隔てるヴェールとして概念化している。

この壁を超えることは、各種の瞑想によっても成し遂げられるが、実社会での仕事に集中する、などという日常的な行動によっても成し遂げることが可能だ。何かの目的に意識を一定量以上集中することで、この壁を越えることができる。壁を超えた時、意識は、日常意識の上のレイヤーが存在していることを知り、それは、日常を支配する常識とは全く違う法則が支配する場であることを体感する。壁を超えているとき、人は達人の力、シッディを得る。そこがゾーンである。

テンポよく壁を超えて、その向こうにあるエネルギーをこちら側へと持ってくることができるようになったとき、生活の中にはフローが生じる。

ところで、ここで書かれている『意志』という言葉は、日常的な意味での『意志』とはまったく違うものを表している。たとえば、禁煙したいとする。「よし、俺は絶対にタバコをやめるぞ!」という決意、これは思考である。ここに書かれている意志とは、思考による決意とはまったく違う別の何かを表している。

意志とは、自分の人格に対する統御力を持つ力のことである。それは思考と感情に対して統御力を持つものである。何かに対して統御力を持つには、それよりも上のレイヤーに存在している必要がある。同じレイヤーに存在しているものは、同じレイヤーに対して統御力を持たない。ゆえに、どれだけ思考と感情を使って「俺はタバコを辞めるぞ!」と決意しても、それは思考と感情を決定的に変える力は持たない。だが、感情よりも思考よりも上のレイヤーに存在している力を使えば、思考や感情を、決定的に、不可逆的に変えることができる。それによって、たとえばタバコを辞める、などという行動であっても、それは抵抗なく成し遂げることができるようになる。

上のレイヤーにあるものは、下のレイヤーにあるものを理解することができる。しかし下のレイヤーにあるものは、上のレイヤーにあるものを理解することはできない。なぜなら、上にあるものは、下にあるものを包んで、超えているものだからである。超えているとは、存在の階層が違うということだ。次元が違うと言ってもいい。

抽象思考よりもさらに上のレイヤーに存在する意志は、我々の生活を、我々の日常意識では知り得ない高いレイヤーからデザインしている。そのデザインは時間と空間を超えているため、日常意識ではその全体像をつかみとることはできない。ただ、日々の生活の中で、上から下へと流れ落ちてくる直感やアイデアの閃きによって、その存在を知ることができる。その直感やアイデアの閃きに従い、それを実行することで、美しくデザインされた意味深い物語が自分の人生に描かれていく。