アニメのような世界、つまり、二次元の世界に行きたい、でも行けない、だから悲しいなどという弱音をよく人は吐く。これは何も最近の若者の話ではなく、おそらく紀元前から人類はずっと、心の中にある想像の世界に行くことを夢見、だがそれが叶わぬことを嘆き続けてきた。

我々は今、三次元の世界の中に生きている。だから、確かに、二次元には行けないかもしれない。

だが、二次元的な世界や、二次元的なキャラとの交流に自分が求めているものの本質を、この三次元で体験することは、十分に可能だ。

たとえば、何かの二次元的アニメキャラが好きだとして、そいつとコミュニケーションすることで得られるであろう体験の、その本質を、この三次元で、この自分自身が体験することは、間違いなく可能であるということだ。

また、それを三次元で体験することで得られる満足感は、おそらく二次元の世界に入ってしまうことなどよりも遥かに高いはずだ。

だからどんな夢も諦めることなく、追及すべきだ。

二次元というのは、キラキラした世界の象徴だ。そこには夢があり、愛があり、ときめきがあり、興奮があり、色鮮やかさがあり、郷愁があり、美しさがあり、永遠がある。

もし、二次元的なものに対して、どうしても消すことのできない、果てしない憧れが心の中にあるのなら、二次元的なものに自分が求めている質を特定し、それをこの自分の、三次元の人生の中にもたらそうと試みるべきだ。それは、心の中で輝いている二次元的な質を、三次元の中に引っ張り出してくるということだ。

そうすれば、二次元と三次元は、少しずつ融合していく。

二次元と三次元を足したら五次元。

五次元に生きることが私の目的だ。

二次元に行きたいなどというのは間違っている。かといって三次元に意識をへばりつかせて生きるべきでもない。

それらが融合した世界、五次元。人はそれを目指すべきだ。

(そのための手段のひとつが、このような瞑想である)