ロールプレイングゲームのパラメータのように、『自信』というものを、心の中にある一つのパラメータとしてとらえることができる。
このパラメータは生まれながらの性質と育成環境によってその初期値が決定される。初期値が高い場合、自分がしたいことをしながらも、社会の中で有効に機能することが可能になる。初期値が低い場合はゲームのチュートリアル終了後に自分の意思でそのパラメータをあげる必要がある。
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自信にはいろいろな種類がある。中でも下記の自信が重要だ。
「自分は自分の好きなことをすることができる」という自信と、「自分の好きなことは何かしらの形で人々と社会の役に立つ」という自信。
前者の自信のみがあるとき、人は氷の城を人里離れた場所に作ってそこに閉じこもるエルサのようになってしまう。(アナと雪の女王を観た人専用の喩え)
誰しもが何かしらの形で、氷の城を作る才能を持っている。その能力、その性質はいずれ人々の前にどうどうと開陳せねばならない。
それを開陳した時、それを非難する人もいれば褒める人もいる。いずれにせよ自分を保ちながら、自分というものを人々の前に開陳せねばならない。人の意見によって揺らぐとき、自分を開陳することはできない。なぜならそのとき自分は自分でなくなってしまうからである。
大勢の人の中で揺らがずに立つためには、自分の奥深くに、揺るぐことのない自分がいることを信じる必要がある。
揺るぐことのない自分、それは鋼鉄のように固く強いというよりもむしろ、下記のような不思議な性質を持っている。
それは風のように自由で、炎のようにゆらめいて、水のように清らかで、新緑のように初々しく色鮮やかだ。
その自分は不思議な存在であり、やることなすこと、時に不可解であり、それでいて一挙一動に深い意味があるようである。
その不思議な自分の中に氷の城を作る魔力が隠れている。同時にその自分の中に、人々と、そして社会と協調して生きていく力が隠れている。
協調とは、ダンスのように、テンポよく常に移り変わっていくことだ。それはどちらかがどちらかに、自分を殺して服従することではない。それはお互いがお互いをダイナミックに変えていくことだ。
本当に人や社会と協調するには、何であれ自分を開陳せねばならない。
そうすれば最終的には協調が生まれ始める。いろいろあったあと、妹に手をさしのべてもらい、その愛を受け取ることができたエルサのように。
だから自分を開陳するための自信とは、他人を信じるということでもある。
その他人はすでに知っている人かもしれないし、まだ知らない人かもしれない。
どこかに響き合う人がいる。だから自分の中から沸いてくるものをどんどん開陳し、表現していく。
それに対してどこかから木霊のようにエコーが返ってくる。そのような奇跡のような響き合いの可能性を信じることが、自信なのである。