漫画はこの世でもっとも面白いコンテンツのひとつである。それだけにその影響力も絶大なものがある。

その良し悪しは抜きにして、我々の精神に影響を与えていると思われる物語のパターンについて短い考察をしてみたい。

漫画、特に少年漫画の中では善と悪の戦いが描かれる。悪は力によって何か良いものを奪っていく。
高確率で漫画の中の美少女的存在は、不良めいた存在によって拉致されかかる。これを善の側の存在が、何かしらの力を使って妨害する。

力の源は、感情の強さであったり、すぐれた知力であったり、あるいは何か過去や先祖や親族から伝承されたものであったり、それらがミックスされたものであったりする。

そこで描かれる物語は当然、現実とは違うものであるが、その吸引力がとてつもなく強いために、それは読者の現実認識を侵食する作用を持つ。

私の体験として、この思考パターンは漫画から得られたものではないかというものをいくつかあげてみたい。

1.勝利する、あるいは目的を達成するためには、するどい知力によって状況を読みきり、正解を出す必要があるという思考パターン。

漫画では独特の漫画時間なるものがあり、その中では一秒が数週間に引き延ばされることが可能だ。その中で登場人物たちは凄まじい量の知的な推論を積み重ね、その世界のロジックを読み解いたものが勝利を手にする。これは漫画という表現形式から、読者の興奮を強烈に惹き付けるために必然的に導き出された表現パターンのひとつであるが、現実自体もそのような基本的パターンを持っていると読者を錯覚させる力を持っている。
このパターンは、おそらく、義務教育で与えられる、『与えられた問題に正解しないと生存に不利になる』という条件付けと並行関係にあり、相互に強化し合う関係になっている。

2.良いもの(ヒロイン的美少女との両思い状態等)を得るには、特定の条件を満たす必要があるという思考パターン。
世界の中で価値がある存在が明確に明示され、それを得るためには特定の条件を満たす必要があるとするパターン。特定の条件とは、だいたいにおいて何かに勝利することであり、その勝利のための戦いのプロセスが延々続くが、求めるモノの獲得は無限に引き延ばされる。
これもまた、週刊連載という形式の中で読者の興味を持続的に惹き付ける必要があるという経済的要請から自然に得られた物語パターンであると思われるが、やはり読者の現実認識に強い影響を与える力を持つ。
またこのパターンは、現在の資本主義社会における、幸せになるにはコレコレの条件を満たす必要があるという条件付けと並行関係にあり、「今の自分では足りない」という読者の思いを強化することについて、相互に協力関係にある。

こういったパターンを考察すると、『経済に要請された中毒性』といった構造が根底に流れているのが感じられる。

そんでもって、長年ジャンプなどなどを読んできた私は、その中毒性に骨の髄まで犯されているわけである。

だが、勝利するにはするどい思考が必要という観念に対しては、『直感の活用』によってそれを乗り越えることができるだろう。

幸せになるには特定の条件が必要という観念に対しては、『今ここに無条件の幸せを得ることができる』という青い鳥的なアイデアとその実践によって乗り越えられるだろう。

だが乗り越えるべき世界観は無数にあり、それは四六時中、我々を取り囲んでいるように思われる。そのような制限のある現実認識へと我々を導く世界観が『壁』のように我々を取り囲み、『真の現実』を我々から遠ざけているように思われる。

漫画というのは一例であって、ありとあらゆるメディアからやってくる情報は、そのような壁を生み出す力を多かれ少なかれ持っている。

そんな壁の中の生活にも飽きてきたとき、壁に穴を開けて、真の現実が見える場所まで掘り進んでみたくなるわけだ。

その作業を図に描くとこのようになる。

1.高い意識 ハイヤーセルフ 『真の現実』
2.低い意識 制限のある現実認識を生み出す観念群 『壁』
3.日常の意識

「2」に穴を開けて、「3」を「1」にまで届かせるという作業だ。
それが完成したとき、『真の現実』が『日常』と直結される。

関連小説『脱獄の寓話』