今日はなんか疲れてる気がする。
なので休みつつ文章を書くことにする。
特に、精神を休ませながら文章を書くことにする。なぜなら疲れているのは主に精神だからである。
精神を休めて、できるだけ馬鹿になって、さーっと思い浮かぶことを書いていく。
すると必然的にその文筆作業は一種の自動書記めいた様相を呈していくはずである。
自動書記にも二種類ある。
便宜上、それを『高い自動書記』と『低い自動書記』の二種類に分けてみよう。
ここで出てきた高、低という区分けは、心の中の位置を表している。
高い部分には、新しいアイデアの源泉が存在している。そこはとても賢い意識の存在する場所である。
低い部分には、抑圧された感情やイメージが渦巻いている。そこは古い押入れのような場所である。
その中間地点に、自分の普段使いの日常的精神がいる。
その普段使いの日常的精神を休ませて文章を書いたとき、文章執筆の係は、必然的に、低い部分にある精神か、高い部分にいる精神へとバトンタッチされることになる。
人はよく『潜在意識』などという言葉を使って、心の中の、日常的な部分と、普段はアクセス出来ない部分を区分けして考える。
その『潜在意識』を、さらに高い部分と低い部分の二つに分けて考えることで、沢山のメリットが得られる。
メリットの一つとしてあるのが、新しいアイデアは、心の高い部分からやってくるのであって、自分の抑圧された感情や記憶からやってくるのではないということを知ることができるということだ。
昔のクリエイターは、心の中のこの高低の区分けを知らなかったために、新しいアイデアを得るために、とにかく自分の中の低い部分、抑圧された部分、ドロドログチャグチャした部分に意識を向け、そこから何か新しいアイデアを汲み出そうとした。潜在意識の中にアイデアの源泉があるのは感じられるのだが、その潜在意識が、さらに高低の二つに区分けできることを知らなかったのだ。
そのため、崇高なものと、退行的なものが、混同されるという間違いが、人間の文化の中には常に散見されることになる。
心の中の低い部分に意識を向け、その中にあるものを汲み出そうとする作業は、おそらくデトックス的なヒーリングとしてはよく機能したであろうし、また、心の低い部分から、沢山の創作の材料を得ることもできたであろう。また、心の低い部分、押入れのような部分を掃除しているうちに、何かのはずみで、心の高い部分とのアクセスが確立され、画期的な新しいアイデアが閃いたということも多々あるであろう。
だが、アイデアを得るために、心の中の抑圧された部分、ドロドログチャグチャした部分を探るのは、精神エネルギーの非効率的な使い方であり、疲れる作業であるに違いない。
なぜならアイデアとは心の中の高い部分からやってくるのであって、心の中の押入れからやってくるのではないからである。
心の中の押入れ、抑圧された感情や過去のイメージや、そういった類のもの、そこにあるのは過去に由来するものであって、決して新しいものではない。新しい創造のためには、何がなんであっても、心の高い部分にアクセスせざるを得ない。
心の高い部分にアクセスするには、脳波はできるだけ穏やかな脳波であることが望ましい。
いわゆるアルファ波、できればシータ波的な、瞑想的な脳波の最中、あるいはその後に、アイデアは閃きやすい。
アイデアを得るための具体的な手順としては以下のようになる。
- まずは、どのようなアイデアが欲しいのかを、意識的に、具体的に考える。
- 欲しいアイデアについてのイメージや、それに付随する感情、感覚も想像する。
- この作業は、『こんなアイデアをくれ』という、日常的意識から、超意識への注文出しに相当する。あくまで『こんなアイデアをくれ』という注文を出しているだけであり、この段階の思考作業によって新しいものが閃くことは少ない。この段階での思考作業は、蕎麦屋さんに電話で注文しているみたいなことである。蕎麦は蕎麦屋さんが持ってきてくれるのを待つ必要がある。
- 好きなだけ上記の作業をしたあとで、精神を休ませる。
- できるだけ考え事はしないようにして、頭を空っぽにする。
- 散歩や、シャワーを浴びるなどをすると、簡単に頭が空っぽな瞬間を創ることができる。
- 軽く瞑想したあと、何か体を動かすようなことをするのもいい。
- とにかく頭を空っぽにする。
- すると、ふとした瞬間に、何かの閃きが訪れる。
- その閃きには、新鮮な感じや、面白さや、情熱が伴っているはずである。
- できるだけ、その最初の閃きの形を捻じ曲げないようにして、それをメモするなり、なんなりして形にしていく。
注意としては、新鮮なアイデアは、ときとして、日常的意識によって捻じ曲げられがちである。
なぜなら、アイデアが新鮮であればあるほど、それはまだこの世に存在していないものなので、それは日常的意識にとっては見慣れない、異様なものに感じられるからである。
アイデアの純粋さを保ったまま、現実の中にいかに接地させていくかが、アイデアを閃いた後の作業の大事なポイントである。
*
ところで、アイデアが浮かびやすいときと、全く何も思い浮かばないときがある。
アイデアが浮かばないとき、自分の心の高い部分との接続率が低下しているように感じられるとき、そんなときは、無理に新しいアイデアを得ようなどとしなくてもいい。
そんなときは、もしかしたら、自分の心の中の低い部分、抑圧された感情などが眠る押入れの中を掃除するときなのかもしれない。その中に眠る様々なものを見て、それを掃除するなり整理するなりの作業をするときなのかもしれない。
感情エネルギーには保存則が働く。
感情は、感じないようにして、押入れの中に突っ込んで、一時的に自分の意識に見えないようにすることが可能だ。
だが、それは何らかの手段で消化、昇華されるまで、自分の心の中にずっと残り続ける。
未消化の感情は心の中の押入れにすべてしまい込まれている。
だから、心の中の押し入れを綺麗にするには、未消化の感情を、もう一度手にとって、それを味わうなどして消化する必要がある。
それは過去の未解決の事件を再体験する作業である。もしかしたら、その作業はかなり辛いかもしれない。
だがそんな作業をしているうちに、心の中に空白、ゆとりが生まれる。
そのゆとりが増えることによって、脳は安心してリラックスを始める。脳がリラックスすればするほど、心の高い部分と、日常的な部分の間に、太いコネクションが確立されていく。
そしてしばらくすればまたサイクルが回ってきて、新しいアイデアがバンバン湧いてくるような、自分の心の高い部分との接続率が400%に達したかのようなエキサイティングな日々がやってくるだろう。そのときにより高く飛べるように、何もアイデアが浮かばない日には、疲れているように感じられる日には、落ち込んでいるように感じられる日には、自分の心の下部にある薄暗い押入れの中を掃除するのだ。
心の下部の掃除、すなわちヒーリング。
心の上部と日常的意識の接続、すなわちチャネリング。
この二つを繰り返すことで、創造のための心の空間と回路は太くなり、信頼性が高まっていく。
そのようなサイクルを繰り返すことで、意識は次第に高みへと昇っていく。