物語にはふたつの種類がある。

  • 穴埋めのための物語
  • すでに穴が埋まったあとの物語

穴とは、欠乏であり、それは埋めなければならない。

欠乏を埋めるための何かを求めて、主人公は物語のスタート地点からゴール地点へと走って行く。

その過程で、主人公は欠乏を満たすための、何かを手に入れる。それは姫であったり、宝であったり、青い鳥であったりする。

一方、すでに穴が埋まったあとの物語は、すでに穴が埋められているために、その物語の中で主人公が求めねばならないものは存在していない。

主人公はすでにゴール地点にいるのだ。

これは、穴埋めのための物語を長年書いてきた創作家にとって、一種の恐怖を巻き起こす。

なぜなら、いままでずっと、何かを満たさねばと思ってやってきたからだ。

そして、穴を満たすための、特定のアイテムを求めることで、人生に方向性を作ってきたからだ。

しかし穴もなく欠乏もなく、それゆえに求めるアイテム、向かうべきゴールもなくなってしまったとき、その物語には、もはや方向性が無くなってしまったように感じられる。

だから、「穴を満たすための物語」ではなく「すでに穴が埋まってしまったあとの物語」を書かざるをえない状況に追い込まれた創作家は、しばしば、まるで自分がフラットな、何の面白みもない、どこまでも続くプラスチックの板のようなものの上に置き去りにされ、そこで永遠に暮らさなくてはならないかのような感覚を得て、ときにパニックに陥る。

埋めるべき穴が無くては、求めるべき宝もなく、欠けているスタート地点が無くては、満たされているゴール地点も無い、それゆえに過去と現在を設定するための時間の流れがその物語からは消滅してしまうように感じる。

そのような、「穴が埋まってしまっている物語」を創造せねばならないクリエイターは、思考の取っ掛かりをうしなって、あたかも自分の意識が一面の空白に飲まれたかのような感覚を得て、ときに呆然とし、ときに何が何だかわからなくなる。

満たされている物語。

それはなんなのか。

すでにゴールに辿り着いている物語。

それはどういうことなのか。

わからなくなり、混乱し、不安になり、その不安から逃げるために、もしかしたらその創作家は以前のような、書き慣れた、古いタイプの物語を書くことに逆戻りしようとするかもしれない。

そして物語の中に、何かしらの、満たすべき穴を設定し、その穴の生み出す欠乏感を設定するかもしれない。そして、その欠乏感を埋めるための、今は持っていないけど、いつか未来で手に入れるはずの宝を想像し、その現在の欠乏と、未来の想像上の宝という、AとBの間を繋ぐ直線によって構成される時間の流れをも創造するかもしれない。そのような、確固たるものとして感じられる、時間の流れという足場の上に立ったその創作家は、そのような見慣れた世界に包まれて安心するかもしれない。まるで古い毛布に包まって眠る犬のように。

そう、古いタイプの物語、それはまさに古い毛布のようなもので、安心をもたらす心の覆いである。

しかし毛布をかぶって目を閉じても、先程まで垣間見ていた、真っ白な、上下左右のない、空間すら存在しないイメージ、新しいタイプの物語のイメージが、毛布の中で眠る心の中にまでやってきて、それはもう離れていこうとはしない。

なぜならその創作家はその新しい種類の物語の魅力に取り憑かれてしまったからである。

人は誰もが自分の人生の物語を紡ぐ創作家である。人生は自分の心の中にある筋書きに従って進んでいく。

「私の心はもう満たされた」と認めるとき、まったく新たなプログラム、まったく新たなルールに基づいた筋書きによって導かれる人生が始まる。それは『いま』『ここ』に密着した人生である。

いま、ここに、何があるのだろうか?

それは、意識を、いま、ここに向けてみなければわからない。

もう、いま、ここではない、存在していない未来の中に、宝は探さなくていい。

なぜなら宝はもう手に入れたからである。

だから安心して、いま、ここに意識を没入させてもいいのだ。

そのようにして没入させた、いま、ここの中に、新しいタイプの物語がある。意識をいまここに没入させることによって、潜在意識のレベルに、新しい人生の筋書きが書きこまれていく。それは、「すでに満たされている」ということを前提とした人生の筋書きである。

満たされているから、いまここに没入できる。

この瞬間に没入すればするほど、実際に心が満たされていく。

このようなフィードバック・ループが安定して働くようになったとき、欠乏を前提とした物語システムによって構築される人生から、満足を前提とした物語システムへの移行のファーストステップが、ある程度は成し遂げられたと言える。

そのような、人生の物語創造システム、すなわち現実を認知し、現実を創造するための心のオペレーティングシステムの、従来のものから新しいものへのダイナミックな切り替えこそが、いわゆる「悟り」などという言葉によって指し示されているものの一端である。