小説執筆は歌を歌うことに似ています。歌が上手になるには、たくさん歌いまくればいいわけです。それと同じように、小説を書くことが上手くなりたいなら、たくさん書けばいいのです。
 あるいはまた、小説執筆は筋トレにも似ています。筋肉が欲しければ、腕立てと腹筋を、毎日、ひたすらやればいいのです。それと同じで、小説がうまくなりたければ、ひたすら書けばいいのです。
 ですが、毎日、何かしらの文章を楽しんで書くことが上達への近道だとしても、なかなかそんなに書く気になれない、という方も多いのではないかと思います。そういう方は、文章執筆を、『一人カラオケ』のようなものだと考えてみてはいかがでしょうか。
 一人カラオケ、通称ヒトカラであれば、毎日でも歌える、むしろ毎日歌いたい、という方は多いのではないかと思います。声を出して好きな曲を歌うことには本能的な気持ちよさがあります。それは健康によく、ストレス解消になり、スカッとします。
 カラオケでは、画面に表示された歌詞を、表示されたとおりに、声に出していきます。文章執筆では、心の中に浮かぶ言葉を、浮かんだ通りに、キーボードを叩いて文字にしていきます。このように、文章執筆もカラオケも、限りなく似たようなものだと言えます。このようにして、毎日、歌を歌い、あるいは文章を書いていけば、歌も、文章も、どんどん上達していくのは確実だと言えます。
 
 ところである日、『そのようにして歌った歌を、録音テープに録音し、それを人に売ってお金を得よう、そのお金で暮らしていけるようになろう』と考えたとします。
 それは、『どのようにしてビジネスを立ち上げるか』という話であり、『歌や文章を上達するためにはどうすればいいのか』という話とは、完全に違った話になってきます。
 つまり『文章執筆力の向上』と、『文章執筆によって作り上げた製品によるビジネスのスタートアップとその運営』という二つの仕事は、いわば職人Aさんの仕事と、その職人を雇う経営者Bさんの仕事という、二つのまるで異なったカテゴリーの仕事の話だからです。
『職人としての実力を磨いていくこと』と、『経営者として職人をマネジメントし、職人が生み出した製品を使ってカスタマーや他社と取引し自分の会社を運営していくこと』は、完全に別次元の思考、別次元の世界観を必要とすることです。ですから、これを一度に考えるのは混乱を招きます。この二つは切り分けて考えるべきです。
 職人は自分が手がけている作業の瞬間瞬間に没入することに集中すべきです。
 経営者は、お客さんと自分の会社の関係および、他社と自社の関係、そしてひいては社会と自社の関係を、高い視点から理解することに集中すべきです。そして、どの分野に自社のエネルギーを注げば、もっとも自社のポテンシャルが活かせ、最も社会に貢献できるのかを見抜き、全体的な方針を立てるという仕事に集中すべきです。
 経営者は職人仕事の現場の細部には立ち入るべきではありません。また職人は職人仕事の最中に、経営者の考えるべきことを考える必要はありません。職人も、経営者も、自分の仕事に集中し、相手の仕事は、相手に任せた方が効率があがるのです。
 つまり、もし小説を書いている最中に、『こんなことを書いたら読者に飽きられるのでは。こんな話は売れないのでは』などという考えが頭に浮かんだら、それは経営者が考えるべき問題であり、職人が仕事中に考えるべき問題ではないということです。
 職人は目先の仕事、今、目の前にある文章執筆に集中することだけを考えたらいいのです。歌手はそのとき歌っている歌を気持ちよく歌うことだけに集中したらいいのです。そして、それが売れるかどうかは、経営者としての自分が、あとでゆっくりと考えたらいいのです。
 繰り返しますが、もし文章を書いている最中、『うまく書けているか』『文章のクオリティは大丈夫か』『間違ってないか』『読者はどう反応するか』などという雑念がたくさん浮かぶようであれば、それは自分の中の経営者が、執筆の現場に口をはさみすぎているということです。
 あるいは最近、書いていてあまり楽しくないと感じるようであれば、経営者が職人の作業に口をはさみすぎているということです。そんなときは『社長、邪魔です! 社長は社長室でどっしりと構えて、大局的なことを考えてください!』と言って、社長を作業所から追い払いましょう。そして職人としての自分は、目先の手仕事に集中するのです。
 もしかしたらその職人は、会社の経営という、本来、経営者が考えるべき仕事を、ずっと気にかけてきたかもしれません。しかしそれは経営者の仕事であり、職人がすべきことではなかったのです。職人が職人仕事をするときには、忘れるべきことだったのです。
 だから、職人が、職人仕事をするときには、いらないことはすべて忘れましょう。自分本来の仕事ではなかったものすべてを手放し、自分が本来やりたかったこと、いま手元にあるこの手仕事、その細部、その仕事の流れに、心底くつろいで集中しましょう。
 そうした時、その作業は、とても楽しいものであることを職人は思い出します。その作業はカラオケのように、あるいは気持よく汗をかく運動のように、自分にとてもよく合う、自分が求めていた、自分にふさわしい作業であったことを職人は思い出します。
 そして深い安心に包まれながら、職人は好きなだけ、好きなように、目の前の手仕事に没頭し続けるのです。