先日から『次元』という概念によって人間の意識の状態を区別するという試みを行ってきた。意識の状態といっても、それは主観的なものであり、客観的な指標によって示すことはできないものである。

いや、脳波によってそれは客観的に測ることができる。という説があるが、それがどこまでちゃんとした科学的知見に基づく話なのか私は知らない。

とりあえず、ざっくりと、このような意識状態と脳波の対応関係があると一部では言われている。

意識状態 対応する脳波
三次元意識 β波
四次元的意識 α波
五次元意識 θ波

 

しかしひとくちに四次元意識といっても、能の幽幻感も四次元的な意識状態であれば、アニメキャラに感じるときめきのような感覚もまた四次元意識に含まれる。

四次元意識状態の幅、スペクトルは上下にとてもとても広い。

本当にこれらの意識状態と、α波というひとつの脳波が一対一の関係にあるのかどうか、私は知りません。

ただとにかく、意識状態が変わるごとに、脳の稼働モードも変わることが主観的な感覚として体験できることは確かです。

またその様子は脳波計のような装置である程度、客観的に測ることもできるようである、ということです。

一昔前はバイオフィードバック技術で瞑想の練習をしようなんて機械がたくさんあったように思う。

私の好きな思想家/瞑想家のケン・ウィルバーはそのようなバイオフィードバック瞑想トレーニングを有用だと推していた。

Youtubeには、その瞑想用バイオフィードバック機械を頭に巻いた、ケン・ウィルバーの瞑想実演映像があった気がする。

だが脳波をコントロールすることで、意識状態を制御しようとするアイデアは、「脳によって意識が生まれている」という観念を強化するものである。

五次元意識に至るためには、「意識によって自分の脳を含むこの世界が生じている」という観念をある程度、自分のものとして取り入れる必要がある。そのように物事の見方をひっくり返す必要があるのだ。

物質→意識ではなく、
意識→物質、というように。

物質が意識の原因なのではなく、意識から自分の体験する物質世界が生まれているのである、というように。

ただこのような発想は、ともすれば、「この世界にいるのは俺だけだ」というような、終ノ空的、唯我論的方向に流れがちである。だがもちろんここで言いたいのはそういうことではない。

この物質世界はたくさんの意識がシェアし、それを体験するために、皆の共同作業で生み出しているものである。しかもその「たくさんの意識」は、上の方で一つにつながっている、という感じのことを言いたい。

話を戻します。

とにかく脳という物理的装置に機械的な変化を与えることで、意識に変化を起こそうとする試みは、ある程度のところで壁にぶつかり、それ以上、上に進めなくなりがちである。

これは物理的な行為、たとえば苦行によって意識状態に変化を起こそうとするようなワークについても言えることである。

つまり物理的なトリガーによって意識状態に変化を起こそうとする試みは、常に意識がそのトリガーの支配下に置かれる危険性を持っているということである。

また、物理的トリガーによって意識に変化を起こすたびに、「意識は物質の束縛化にある」という観念が強化されがちであり、その観念によって、五次元的体験が阻害されてしまうということである。なぜなら人が体験するものは、常にその人が意識的、無意識的に保持している観念によって善かれ悪しかれ規定されるからである。

これがあるから、こうなれる。
このトリガーがあるから、こんな意識状態に至ることができる。

そのような条件付けは、常に自分を不自由にする。しかし五次元意識状態とは、あらゆる不自由さから意識が解放された状態である。だから五次元的意識状態を目指すのであれば、意識状態に変化を起こすための何かの物理的トリガーは、いずれ捨てることが必要になる。

かといって外部から与えられる、自分の意識に変化を起こしそうなものを全否定するというのも、また極端な話である。

必要なときに利用できるツールはなんでも利用して意識を拡大し、そのツールがもういらなくなったら感謝とともにそれを手放して前に進む。

そんな、ツールに対する無執着が、意識の上昇のためには大事なことなのだろう。