「生きづらさ」を抱えている人は多い。
その感覚の原因は多岐にわたる重層的なものであり、何かひとつだけを根本原因として見ることはできない。
また、それらいくつもある原因をどの視点から見るかによって、原因についての、さまざまな表現、解釈を得ることができる。
今回は「生きづらさ」の原因について、より瞑想的、ヒーリング的、スピリチュアル的な視点から、その正体についての考察をしてみたい。
この私という人格、このパーソナリティの中に生じるすべての問題は、とりあえず、世界および他者および自分との、コミュニケーションの問題であると言える。
世界および他者および自分の各部分とスムーズな交流が生じず、交流の滞りが発生しているところに、「生きづらさ」が生じる。
よって、コミュニケーションの滞りが生じている場所に、なんらかの変化を起こし、その滞りを解除することによって、生きづらさは減っていく。
さて、コミュニケーションは、AとBが接する部分である、インターフェイスによってなされる。
パソコンであれば、第一に、Wifiの接続状態によって、インターネットとスムーズな情報交換ができるかどうかが決まってくる。
また、それ以外にもさまざまなボトルネックが生じる可能性のあるパーツが存在する。
その場合は、その詰まっている場所のパーツなりなんなりをアップデートすることで、システム全体が効率化される。
パソコンは、いくつかのパーツによって構成されている。
マザーボード、CPU、メモリ、云々。
人間もいくつかのパーツによって構成される。
物理的視点から見たとき、それはいわゆる五臓六腑というようなパーツに分けて考えることができる。
だが本稿では「生きづらさ」という目に見えない、主観的なクオリティに関する考察なので、必然的に、生きづらさに関するパーツも、目に見えない主観的なものとなる。
生きづらさに関する、目に見えないパーツ、、、、それはチャクラだ!
もっとも、チャクラというのはインド発祥の言葉であり、ちょっと色がつきすぎているため、もっと透明に、抽象的に、ただ「エネルギーセンター」と呼ぶこともある。
ここでいう「エネルギー」とは、物理的な意味でのエネルギーではなく、主観的な感覚として感じられるすべてのエネルギーのことである。
たとえば感情や、思考などは、どれも主観的な、特定のクオリティを持ったエネルギーとして認識することができる。
ここでひとつ、そのような主観的なエネルギーを感じる練習をしてみよう。
これは誰もが常日頃、普通にやっていることだ。なんの超能力も瞑想力もいらない。
主観的エネルギーを感じる練習
・誰か好きな人のことを心に想像する(二次元でも可)
・そのとき体の各部位に感じる感覚を味わってみよう。
・目を閉じ、好きな人のことを想像しながら、まずは下腹部の感覚を感じよう。
・次に、胸部の感覚を感じよう。
・最後に全体的な感覚を感じてみよう。
このとき感じる内面的な感覚が、瞑想やヒーリングやスピリチュアル的な文脈で使われる、エネルギーという言葉が指し示しているものである。
あらゆる知覚対象は、何らかのエネルギーを知覚主体に感じさせる。ここで言うエネルギーとは、もしかしたら一昔流行ったクオリアとかいう言葉に近いものかもしれない。
我々のパーソナリティは、このエネルギーに左右されて生きている。
入出力されるエネルギーによって、感情は自動的に浮かび、思考は自動的に浮かび、それらに導かれて行動が自動的に生じる。
つまり、これらの内面的なエネルギーを統御できない限り、このパーソナリティは、外界および内界から入出力されるエネルギーによって自動コントロールされる自動ロボットであるということだ。
恐怖のエネルギーが高まったとき人は逃げてしまう。不安のエネルギーが高まったとき、人は行動を止めてしまう。
だがそのエネルギーを認識し、他のエネルギーに変換するような力があったなら、恐怖はもうその人を止めない。不安はその人の足を止めない。
ロボットが自由意志を持ち、それを発揮して生きていくためには、このような主観的なエネルギーに対する統御能力、コントロール能力を得ることが必要不可欠である。
またどのような人も、ある程度、そのようなエネルギー・コントロール能力を生まれながらに持っている。
知的活動が得意な人であれば、思考のエネルギーを認識し、それに集中し、それを加工する内面的な作業は得意なはずだ。
感情を統御することが得意な人は、感情のエネルギーを感じ、それを味わい、それを流したり、昇華したり、表現したりすることが得意なはずだ。
感覚的なエネルギーを扱うことが得意な人は、肉体的、物理的な感覚のエネルギーをよく認識し、それに対するコントロール能力を持っているはずだ。
しかしこれらは大体、生まれついての初期値から出ることはない。
また、人はだいたい、感覚、感情、思考、三つのうちのどれかに特化したエネルギー処理能力を発達させており、自分が得意とするエネルギー処理領域の外のものについては、苦手なことが多い。
特に「生きづらさ」は、「感覚」のエネルギー処理系に障害が生じている時に発生しやすい。
よって「生きづらさ」を解除するには、感覚を処理するエネルギー・センターを発達させればいい。
だが多くの生きづらさを抱える人が、生きづらさを解除しようとして、「思考」のセンターを用いている。それはカテゴリーエラーなのだ。生きづらさを、思考によって解除することはできない。それは物理的、肉体的
、動物的な感覚の処理能力に関するものだからである。どれだけ思考能力を発達させようとも、生きづらさを解除することはできない。
たとえば、学校のクラスに溶け込めない少年がいるとする。
少年は頭で考える。
どうして僕は周りから浮いてしまうんだろう。
頭で考えて、対策を練り、周りに溶け込むための努力をする。
だがその少年の努力すべては、彼を自意識過剰にし、彼をより一層、周りから浮いた存在にしてしまう。
周りに溶け込むために少年に必要なのは、思考に関するセンターを発達させることではない。本能や感覚に関するエネルギー・センターを開くことだったのである。
本能や感覚に関するエネルギーセンターとは、この三つのことだ!
脊柱基底センター(第一チャクラ)胴体の一番下、会陰部とか、尾てい骨とか、そのあたりに存在している。物理的なものではないので、目には見えない。
仙骨センター(第二チャクラ)下腹部、おへその下あたりに存在している。いわゆる丹田のこと。
太陽神経叢センター(第三チャクラ)みぞおちのあたりに存在している。上丹田などと表現されることもある。
この三つのセンターは、人間の、物質的、本能的、動物的、感覚的なエネルギーの入出力を司るエネルギーセンターである。
この三つのセンターに障害が生じたとき、あらゆる生きづらさが生じてくる。
・集団活動ができなくなる。
・周りのノリに合わせることができなくなる。
・集団から浮く。
・元気がなくなる。
・活力がなくなる。
・物理的な触れあいが怖くなる。
・人に会うと疲れる。
・電車などが苦手になる。
・経済状況に問題を抱える。
・社会生活に問題を抱える。
・対人関係に問題を抱える。
・恋愛活動にも障害を得る。。。
この三つの下位センターに障害を持つとは、言うなれば蟻として、巣の中に生きることが難しくなり、動物として集団の中にいることが難しくなり、哺乳類として群の中の序列の中で活動することが難しくなるということに他ならない。
いわゆる「リア充」能力は、この三つの下位センターから生じる。
この下位センターがしっかり機能していれば、それより上のセンターに由来する、共感力や、愛や、直観力や、大きなヴィジョンを見る能力などの、高位な能力、多次元的な能力など、何もなくても、とりあえず物理的にリア充的な生活をすることができる。
よって、とりあえずこの世で快適な生活を送りたいなら、この三つの下位センターを、いい感じに調整し、オープンにすることはとても大切なことである。また、それによって、この世にしっかりと立つことができるようになり、人間としての高位の能力も、のびのびと、歪みなく用いることができるようになる。
ところで、人間のエネルギー・センターというものへの気づきは、実は一般的、普遍的なもので、その感覚は日常の言葉遣いの中に、すでに当たり前のように組み込まれている。
・頭にくる
・胸が痛い
・ハートがオープンな人
・腹が立つ
・胆力がある
・ガッツがある
・腰が座っている
・太っ腹な人
これらは全部、エネルギーセンターの主観的な感覚についての表現であると思われる。
このうちの、腹とか、腰に関係するものが、下位センターに関する表現である。
さてそれでは、どうやって第一、第二、第三センターをいい感じに開き、活性化し、リア充能力を高め、生きづらさを滅していけばいいのだろうか?
そのための具体的ワークを書くには紙面がもう足りない。
とりあえず「生きづらさ」と「エネルギーセンター」という二つのものの関連性を示すという目的が達成されたので、今日のブログ執筆はここまでとする。