昨日はあまりに扇情的かつ射幸心を煽ることを書いてしまったので、今日は真面目なこと、何かハードコアなスピリチュアルっぽことを書きたい。
瞑想・スピリチュアル用語で、ハイヤーセルフと並びよく出てくる言葉として、ソウル(魂)というものがある。韓国の首都ではなくて魂の方だ。
最近よく描く図?で表すと、ソウルはハイヤーセルフの少し上の意識レベルに存在している。
(↑意識レベル高)
ソウル
ハイヤーセルフ
低い意識(壁)
日常的意識
(↓意識レベル低)
ここで意識レベルの高低という表現を使っているが、高い方が良くて、低い方が悪いというわけではない。
車のギアの高いものも低いものも、目的地に着くためにはどれも必要である。
同様に意識レベルには多様な、高さ低さがあるという区別を知ることは、効率よく人生を進めて行く上で本当に大切なことである。
だが多くの人は自分という車の中に、一速のギアしかないと思っている。そのモードがすべてだと思っている。だがそのギアには二速、三速、四速と、もっともっと凄い速度を出せるものがある。それを使えば高速道路を走れるし、想像もしていなかった場所に向かうことができる。
さて。
昨日書いたように、瞑想によって彼女を作ったとき、その彼女は得てしてソウルメイトである。
ソウルメイトとは、魂レベルで深い関係を持っている人間関係のことである。
ところでソウルは、いくつもの人格を、同時に体験している。
図?に描くとこんな感じ。
ソウル
/|\
人格A、人格B、人格C・・・・・
この人格A、B、C・・・・・は、別の時代に、まったく違う姿形で生きている。
たとえば人格Aは2017年にスタバでこの文章を書いている。
人格Bは、紀元前のエジプトでなんかしてる。
人格Cは、十九世紀にどっかでなんかしてる、云々。
だがそれらのソウルは同一のものであり、ソウルは各人格の全体験を同時に体験している。
これはネットゲームのキャラをいくつも持っているプレイヤーのようなものだ。
この私は、私のソウルが体験している人格の一つに過ぎない。ソウルは他のパーソナリティをいくつも同時に体験している。
他の人格は、この私にとっていわゆる『前世』などという名前で呼ばれるものであるが、だが時間は実は錯覚のようなものであり、どの時代も、過去も未来も超次元の中に同時に存在している。よってソウルは人格A、B、C・・・・を、今このとき、同時に体験している。
ところで、ソウルとこの人格の間には、たくさんのエネルギーの壁があり、相互の通信はなかなかうまくいかない。
ソウル
ハイヤーセルフ
壁
壁
壁
日常的人格
その、ソウルと人格の間にいくつも存在している心の壁を除去していく作業が、瞑想であったりヒーリングであったりする。
ハイヤーセルフは、ソウルと、人格の間の中継地点のようなものである。
瞑想によって心の壁を崩しながら、ハイヤーセルフと繋がり、さらにソウルと繋がるのが、インナーワークの目的である。
自分のソウルとの、揺らぐことのない通信回路をビシッと作り上げることが、求道者の目指すべき目的である。
さてその目的を目指すにあたり、その工程をガーッと加速させるイベントがある。それが、『ソウルメイトとの出会い』というものである。
これはいわば、現実生活で仲のいいプレイヤー同士が、ネットゲーム内で、自分のキャラを出会わせることに似ている。このとき、「現実生活」と「ゲーム内」で、プレイヤーとプレイヤー、キャラクターとキャラクターの、多層的コミュニケーションが為される。そのためそのコミュニケーションは非常にスピーディで効率よく、しかも深いものとなる。
同様に、ソウルメイト同士が出会ったとき、ソウルが存在している時間と空間を超えた領域でソウル同士がコミュニケーションし、そのソウルが三次元空間にログインするのに使っている人格同士も、三次元空間でコミュニケーションする。
そのとき、多次元的、多層的コミュニケーションが、ソウルメイトの間に生じる。それは一種の衝撃であり、世界がひっくり返るかのような体験である。
三次元を覆っていたベールが剥がれ、時間と空間を超えたリアリティがそのときありありと感じられる。そのとき人は、他の時代、他の生で体験したコミュニケーションを、ソウルメイトとの関係の中で感じることさえあるかもしれない。
その永遠の多次元的リアリティは日常生活の中に根付き、その後、日常生活がいかに変転しようと、二度と消え去ることはない。